七-一 志賀の佛語採󠄁用論
翌󠄁二十一年四月󠄁、志賀直哉は『改造󠄁』に「國語問題」を發表し、世間の注󠄁目を浴びた。志賀は冒󠄁頭「今程󠄁嚴しい時代を日本は嘗て經驗した事がない。色々な問題が怒濤のやうに後から後から寄せて來る。茫然自失の虛脫狀態になるのも無理はない」と言ひ、次󠄁いで「日本の國語程󠄁、不完全󠄁で不便なものは」なく、これを解決せねば「將來の日本が本統の文化󠄁國になれる希望󠄂はない」と述󠄁べ
*私は六十年前󠄁、森有禮が英語を國語に採󠄁用しようとした事を此戰爭中、度々想起󠄁した 。若しそれが實現してゐたら、どうであつたらうと考へた。日本の文化󠄁が今よりも遙かに進󠄁んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐󠄁らく今度のやうな戰爭は起󠄁つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進󠄁んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返󠄁す事が出來たらうと、そんな事まで思つた。
*そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘、國語に採󠄁用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。六十年前󠄁に森有禮が考へた事を今こそ實現してはどんなものであらう。不徹低な改革よりもこれは間違󠄂ひのない事である。森有禮の時代には實現は困難であつたらうが、今ならば、實現出來ない事ではない。
と、眞顏でフランス語の採󠄁用を提唱してゐるのは、敗戰といふ衝擊によつて生じた一時的󠄁な精神痲痺の惡戲とはいへ、いささか度が過󠄁ぎてゐる。いかに國民のすべてが「茫然自失の虛脫狀態」にあつたとは言へ、これが眞面目に採󠄁上げられる筈もなく、一文豪の茶番として受󠄁け流されてしまつたのも、蓋し當然と言はねばならぬ。それよりも、問題は、このやうな意󠄁見が大眞面目で唱へられるやうな、國民のすべてが「茫然自失の虛脫狀態」にある世相の混亂期󠄁に、一部の改革論者によつて「現代かなづかい」や「當用漢字表」が制定されたといふことにある。