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國語問題の變遷󠄁と國語問題協議會

 國語國字問題の起󠄁りは、漢字、語の排斥に始まる。そしてそれは國粹主󠄁義から漢字を廢しようとするものと、西洋文字を至高として漢字を呪詛するに至つたものとの二つの源流がある。前󠄁者には賀茂眞淵などがあり、明󠄁治十六年成󠄁立の「かなのくわい」などもそれである。後者には本多利明󠄁、前󠄁島密、柳河春三、福澤諭󠄀吉などがある(ただし柳河は假名專用論、福澤は漢字遞減論)。また南部義籌、西周󠄀、西村茂樹、森有禮、上田萬年などもこれに屬する(互ひに色彩󠄁は異なるが、結局は洋字專用論)。これらはこんにちの知識層、敎育界にまで深く影響を及󠄁󠄁ぼしてゐる。

 幕末以來この問題は大いに論じられてきたが、以下略年表の形で示す。

月󠄁日 出來事
慶應二年 十二月󠄁 前󠄁島密、將軍德川慶喜に「漢字御廢止之儀」を建白。
明󠄁治二年 四月󠄁 柳河春三、公議所󠄁に對して、布吿書は假名文にすべきことを建議。
  五月󠄁 南部義籌が大學頭山內容堂に「脩國語論」(ローマ字論)を建議。
明󠄁治五年 六月󠄁 森有禮、ホイットニーへの書翰で英語採󠄁用論。
明󠄁治六年 八月󠄁 福澤諭󠄀吉「文字之敎」
明󠄁治七年 三月󠄁 西周󠄀「洋字ヲ以テ國語ヲ書スルノ論」。同月󠄁、西村茂樹「開化󠄁ノ度ニ因テ改文字ヲ發スベキノ論」(初め假名文字、ゆくゆくはローマ字)。
明󠄁治十五年 四月󠄁 矢田部良吉「羅馬字ヲ以テ日本語ヲ綴ルノ說」。
明󠄁治十八年 七月󠄁 「かなのくわい」成󠄁立。有栖川宮威仁親王、高崎正風、外山正一など
明󠄁治十八年 一月󠄁 「羅馬字會」設立。外山正一、矢田部良吉など
明󠄁治三十一年 七月󠄁 「國語改良會」設立。加藤󠄁弘之、井上哲次󠄁郞、上田萬年、矢田部良吉、嘉納󠄁治五郞など
明󠄁治三十三年 一月󠄁 帝󠄁國敎育會會長辻󠄁新次󠄁が、「國字國語國文ノ改良ニ關スル請󠄁願書」を政府、議會に提出。
  二月󠄁 この請󠄁願が兩院で採󠄁擇され、政府に建議される。同月󠄁修正可決
  四月󠄁 文部省が、前󠄁島密、大槻文彥、那󠄁珂通󠄁世、湯本武比古、上田萬年、三宅雄二郞、德富猪一郞、朝󠄁比奈知泉の八名を國語調󠄁査委員に任命。(のち國語調󠄁査委員會)
  八月󠄁 二十一日文部省令第十四號で字音󠄁假名遣󠄁を發音󠄁式に改める(いはゆる棒引き假名遣󠄁)
明󠄁治三十五年 三月󠄁 文部省、國語調󠄁査委員會を設置。委員長加藤󠄁弘之。この委員會が、國語調󠄁査方針として「文字ハ音󠄁韻文字(フォノグラム)ヲ採󠄁用スルコトゝシ假名羅馬字等ノ得失ヲ調󠄁査スルコト」他三項を決議。
明󠄁治三十八年 三月󠄁 文部大臣が「文法上許容スベキ事項、國語假名遣󠄁改定案、字音󠄁假名遣󠄁改定案」を高等敎育會議、國語調󠄁査委員會等に諮󠄁問。
  四月󠄁 假名遣󠄁改定に反對する「國語會」設立。井上賴圀、三矢重松、物集高見ほか
  十月󠄁 「ローマ字ひろめ會」成󠄁立
明󠄁治三十九年 十二月󠄁 物集高見、三浦安、櫻井熊太郞他が假名遣󠄁改定に反對し、「國語擁護會」設立
明󠄁治四十年 三月󠄁 貴族院が、發音󠄁式假名遣󠄁を歷史的󠄁假名遣󠄁に戾すことを建議
明󠄁治四十一年 五月󠄁 文部省が「臨時假名遣󠄁調󠄁査委員會」を設置。伊澤修二、森鷗外等が假名遣󠄁變革に對する反對論を開陳
  九月󠄁 文部省、明󠄁治三十三年のいはゆる棒引假名遣󠄁を撤囘
大正二年 六月󠄁 國語調󠄁査委員會廢止
大正九年 十一月󠄁 山下芳太郞を中心に「假名文字協會」設立(大正十三年の「カナモジカイ」の前󠄁身)
大正十年 六月󠄁 臨時國語調󠄁査會設置。會長森鷗外
大正十二年 五月󠄁 臨時國語調󠄁査會(會長上田萬年)、「常用漢字表」(一九六二字)を發表。
大正十三年 十二月󠄁 「假名遣󠄁改定案」を發表(大體發音󠄁式假名遣󠄁)。
大正十四年 二月󠄁 山田孝雄が「文部省の假名遣󠄁改定案を論ず」を發表、改定案を論駁。續いて芥川龍󠄁之介、藤󠄁村作、美濃部達󠄁吉、松尾捨󠄁次󠄁郡、高田保馬、本間久雄、木下杢太郞などが改定反對論を展開。與謝野鐵幹、晶子夫妻も雜誌『明󠄁星』を擧げて反對。
    (この頃から國語改良運󠄁動は勢ひを失ふが終󠄁熄したのではなく、政治的󠄁な潛行運󠄁動に入つた。平󠄁成󠄁のこんにちでもなほ、正統國語擁護の運󠄁動を「保守反動」とか「軍國主󠄁義」とか言ひたがる人が多いのはその名殘と見られる。)
昭和五年 一月󠄁 半󠄁官半󠄁民の國語改革團體「國語協會」設立。會長近󠄁衞文麿󠄁
昭和六年 五月󠄁 八日、臨時國語調󠄁査は、大正十二年五月󠄁發表の「常用漢字表」及󠄁󠄁び大正十三年發表の「假名遣󠄁改定案」を修正して發表。これを決定案と稱したが再び世論に屈した。
昭和九年 十二月󠄁 文部大臣の諮󠄁問機關として國語審議會設置。同時に臨時國語調󠄁査會廢止。
昭和十二年 十月󠄁 二十六日、上田萬年死去。上田は晚年は改良論を撤囘、積極的󠄁に反對論を展開した。
昭和十三年 五月󠄁 山本有三は「國語に對する一つの意󠄁見」を發表し、振假名廢止、漢字制限を提唱。
  七月󠄁 國語審議會は「漢字字體整理案」を議決、答申。
昭和十五年 十一月󠄁 文部省國語課新設。國語變革運󠄁動を推進󠄁。
昭和十七年 三月󠄁 國語審議會が「標準漢字表」中間報吿を發表
  七月󠄁 上の漢字制限に加ヘ、字音󠄁假名遣󠄁廢止、左橫書き實施が國語審議會において決定、發表。
  十月󠄁 國語改變案に反對する「日本國語會」設立。理事長松尾捨󠄁次󠄁郞。發起󠄁人には市河三喜、伊藤󠄁整、岩淵悅太郞、小汀利得、折口信夫など。
  十二月󠄁 文部省「標準漢字表」(二六六九字)を發表。漢字尊󠄁重表といふべき內容。この年、國語問題論爭盛󠄁ん。
昭和二十年 十一月󠄁 國語審議會「標準漢字表」再檢討。
  十二月󠄁 國語協會、カナモジカイ、日本ローマ字會が「國字問題解決案」を連合國總司令部へ提出。
昭和二十一年 四月󠄁 土岐善麿󠄁、平󠄁井昌夫ら「ローマ字運󠄁動本部」設立。
  四月󠄁 志賀直哉『改造󠄁』に「國語問題」を發表、フランス語採󠄁用論を展開。
  九月󠄁 國語審議會「現代かなづかい」議決答申。
  十一月󠄁 國語審議會「當用漢字表(一八五○字)議決答申。
  十一月󠄁 十六日、「當用漢字表」「現代かなづかい」公布。
昭和二十二年   前󠄁年以來、新表記に反對して美濃部達󠄁吉、阿部次󠄁郞、津田左右吉、今泉忠義、小島政二郞、里見弴、辰野隆、龜井勝󠄁一郞、福田恆存、高橋義孝、林房󠄁雄等が論陣を張る。國語審議會は默殺。
昭和二十三年 二月󠄁 十六日、「當用漢字別表」「當用漢字音󠄁訓表」公布。
昭和二十四年 四月󠄁 二十八日、「當用漢字字體表」公布。
  六月󠄁 國語審議會改組。諮󠄁問機關から建議機關となる。會長土岐善麿󠄁。
昭和二十六年 五月󠄁 二十五日、內閣吿示により「人名用漢字別表」(九二字)公布。
昭和二十九年 三月󠄁 文部省は國語審議會の「當用漢字審議報吿」(いはゆる「當用漢字補正案」)を發表。二十八字追󠄁加、同數削󠄁除。
昭和三十年 十月󠄁 福田恆存『知性』に「國語改良論に再考をうながす」を發表。
  十二月󠄁 上の福田論文に金田一京助が反論。この論爭は翌󠄁年にわたる。
昭和三十二年   建設省の文書、左橫書となる。
昭和三十三年 十一月󠄁 國語審議會「送󠄁りがなのつけ方」を建議。
昭和三十四年 七月󠄁 十日、內閣訓令吿示により「送󠄁りがなのつけ方」公布。
  十一月󠄁 國語問題協議會設立。埋事長小汀利得。
上記は、昭和三十六年版、同五十一年版「國語問題協議會の栞」に竹內輝芳氏が起󠄁草された略史を基に短縮構󠄁成󠄁したものである。なほ、國語問題史、論爭史については『國語國字敎育史料總覽』(國語敎育硏究會)、『國語問題協議會十五年史』(國語問題協議會)、『國語問題論爭史』(福田恆存、新潮󠄀社)、『國語國字の根本問題』(渡部晉太郞、新風書房󠄁)等に詳しい。
昭和三十四年 十一月󠄁四日 內閣訓令、吿示第一號(昭和三十四年七月󠄁十一日)によつて發表された「『送󠄁りがなのつけ方』の實施について」に端を發して國語政策に對する批判󠄁が高まる中、各界有志百六十餘人の贊同のもと國語問題協議會が設立された。準備委員は小汀利得、福田恆存の兩氏を中心として役員を詮衡。
  十二月󠄁十九日 小汀埋事長、田邊萬平󠄁常任埋事は松田文相と面談して本會の趣旨を說明󠄁、倂せて新聞協會にも申し入れを行つた。
昭和三十五年 二月󠄁二十日 第一囘國語問題講󠄁演會開催。聽衆四百。講󠄁師、田邊萬平󠄁、井上靖、福田恆存、犬養󠄁道󠄁子、時枝誠󠄁記、木內信胤、臼井吉見、山本健吉、舟橋聖󠄁一、小汀利得の各氏。
  四月󠄁二十日 第五囘理事會開催。理事會に硏究會的󠄁性格を加へることを決定。前󠄁囘の石井勳氏に續き、この囘は市原豐太氏が講󠄁演。
  十一月󠄁二十二日 文部省國語課事務官三宅武郞氏を招き質疑應答あり。
  十二月󠄁一日 會報『國語國字』第一號發行。
  十二月󠄁十四日 第二回國語問題講󠄁演會。講󠄁師、田邊萬平󠄁、成󠄁瀨正勝󠄁、石井勳、辰野隆、平󠄁林たい子、小泉信三、大野晉、小汀利得の各氏。同日總會。福田恆存著『私の國語敎室』本會推薦圖書に指定。なほ同書は第十二囘讀賣文學賞(批評󠄁部門)受󠄁賞。
昭和三十六年 二月󠄁十五日 石井理事の漢字敎育授󠄁業參觀。
  二月󠄁二十四日 小汀理事長以下役員九人が文部大臣と會見、「要󠄁望󠄂書」を提出。翌󠄁朝󠄁各紙報道󠄁。
  三月󠄁二十二日 第四十二囘國語審議會總會において、かねて審議會の改組を求めてゐた本會理事宇野精一、鹽田良平󠄁、成󠄁瀨正勝󠄁、舟橋聖󠄁一の各氏、及󠄁󠄁び主󠄁張を同じくする山岸德平󠄁の五委員が會議場を退󠄁場、翌󠄁二十三日、絕緣の聲明󠄁書を發表。
  三月󠄁二十三日 午後、五氏は小汀理事長、山本健吉常任理事、岩下保主󠄁事とともに荒󠄁木文相を訪れて說明󠄁、懇談。
  四月󠄁二十二日 NHK總合テレビで國語問題を取り上げ、本會からは福田恆存、高橋義孝、舟橋聖󠄁一、大野晉の各氏出演。
  五月󠄁二十日 同じ主󠄁題のNHKテレビ番組に福田、高橋兩氏の他倉野憲󠄁司氏、石井勳氏出演。
  六月󠄁十日 第三囘放送󠄁、佐藤󠄁春夫、中屋健一の兩氏出演。
  七月󠄁二十二日 本會役員、荒󠄁木文相に面談し、本會の要󠄁望󠄂を申し入れる。時枝誠󠄁記理事が趣旨說明󠄁。出席は小汀理事長以下田邊、山本、時枝、山岸、成󠄁瀨、宇野、岩下の各氏。調󠄁査局長、國語課長とも面談。
    石井勳著『私の漢字敎室』本會推薦圖書に指定。
  九月󠄁七日 文部省より囘答あり、岩下、近󠄁藤󠄁兩主󠄁事は國語課にて國語改革の經過󠄁に關する資󠄁料を受󠄁領、今後の協力の約󠄁束を取り附ける。
  十二月󠄁九日 第三囘國語間題講󠄁演會開催。講󠄁師、宇野精一、鹽田良平󠄁、時枝誠󠄁記、三田村篤志郞、村松嘉津、長谷川才次󠄁、舟橋聖󠄁一の各氏。
  十二月󠄁十五日 當會からの國語問題白書として『國語問題のために‐國語問題白書‐』を時枝誠󠄁記理事執筆で刊行することが決定。
昭和三十七年 二月󠄁二十四日 小汀理事長、市原、石井、長澤、松井、三田村の五理事、岩下、近󠄁藤󠄁兩主󠄁事が文部大臣を訪れ、本會としての要󠄁望󠄂書を手渡す。內閣訓令吿示形式の問題ほか。次󠄁いで懇談、大臣は善處を約󠄁す。
  三月󠄁十五日 理事會に每日新聞社技術󠄁第一部長吉川恆氏を招き講󠄁演。
  四月󠄁二十日 『國語問題のために‐國語問題白書‐』發行。
  四月󠄁二十一日 時枝、近󠄁藤󠄁兩氏は文部省に文相、政務次󠄁官、事務次󠄁官、國語課ほかを訪問、白書出版につき說明󠄁の上配附。
  六月󠄁十五日 理事會にて審議會委員吉田富三氏の「最近󠄁の國語審議會について」と題する講󠄁演。
  十月󠄁二十日 第四回國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、福田恆存、石井勳、木內信胤、杉森久英、高橋義孝、森田たま、成󠄁瀨正勝󠄁、岩下保、小汀利得の各氏。
  十一月󠄁二日 小汀理事長以下役員、文部省に荒󠄁木文相を訪問、送󠄁りがなの訓令吿示の取り消󠄁しなどを要󠄁望󠄂。
  十二月󠄁二十二日 小汀理事長以下本會代表八名が東京都廳に都知事東龍󠄁太郞氏を訪れ、要󠄁望󠄂書を手交、懇談。
  十二月󠄁二十四日 NHK會長室に阿部眞之助氏を訪れ要󠄁望󠄂書を提出、懇談。
昭和三十八年 六月󠄁十七日 小汀理事長以下代表が文部大臣室に荒󠄁木文相を訪れ、本會の公開質問狀を手交。調󠄁査局長、國語課長にも提出。記者クラブで趣旨說明󠄁。
  七月󠄁二十四日 「國語問題協議會の栞」(昭和三十八年版)編󠄁輯會議。
  十一月󠄁一日 小汀理事長以下、文部省記者クラブにて、第六期󠄁國語審議會報吿書に對する本會の聲明󠄁書を公表。
  十一月󠄁二日 第五囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、宇野精一、朝󠄁海浩一郞、市原豐太、澤柳大五郞、三角寬、海音󠄁寺潮󠄀五郞、小汀利得の各氏。
昭和三十九年 一月󠄁十四日 理事會に自治省振興課課長を招き「地番整理に關する街區方式の採󠄁用とその經過󠄁竝びに趣旨」につき質疑應答。
  一月󠄁十六日 第七期󠄁國語審議會委員が任命されるや小汀理事長以下急󠄁遽文部省記者クラブを訪れ、官僚の表音󠄁派優遇󠄁を非難。
  一月󠄁二十二日 田邊、成󠄁瀨、舟橋各常任理事以下代表が文部省に灘尾文相、內藤󠄁事務次󠄁官を訪れ、要󠄁望󠄂書を提出。
  二月󠄁四日 天城調󠄁査局長から回答あり
  二月󠄁十三日 新潟縣龜田東小學校における「漢字での敎育硏究會」に本會代表が參加、講󠄁演。石井勳、岩下保、宇野精一、市原豐太の各氏。
  二月󠄁二十四日 本會事務局代表が首相官邸に池田首相を訪れ請󠄁願書を提出。內閣訓令吿示の撤廢など。
  三月󠄁十四日 雜誌「言語生活」の記事が偏󠄁向してゐるため、國立國語硏究所󠄁に對し同誌の監修を取り止めるやう申し入れることが決定。四月󠄁十一日、第二囘「國語問題に關する國民運󠄁動の提唱文案檢討委員會」開催。
  五月󠄁七日 內閣官房󠄁長官黑金泰美氏及󠄁󠄁び國立國語硏究所󠄁岩淵悅太郞氏に要󠄁望󠄂書を送󠄁附。
  六月󠄁十五日 理事會にて、四月󠄁に理事に推薦された林武氏の自己紹介があつた。
  六月󠄁三十日 「同胞󠄁各位に訴へる」を發送󠄁。
  九月󠄁十四日 國民運󠄁動の提唱、識者への呼びかけの結果、贊同者干三百名。
  十月󠄁三十一日 第六囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、市原豐太、林武、戶塚文子、山岸德平󠄁、吉田富三、福田恆存、芥川比呂志、木內信胤の各氏。
昭和四十年 四月󠄁十五日 理事會にて新理事村尾次󠄁郞氏の自己紹介があつた。國語審議會が、「漢字かなまじり文をもつて國語表記の本則とする」旨の吉田提案を採󠄁否未了とした問題について、森戶會長に申し入れることを決定。
  五月󠄁七日 第四回特別對策委員會開催。吉田富三氏を招き、三月󠄁十九日の國語審議會第五回總會の狀況について說明󠄁を聞く。次󠄁いで對策協議。
  六月󠄁十七日 小汀理事長以下市原豐太、田邊萬平󠄁、林武、舟橋聖󠄁一、福田恆存及󠄁󠄁び事務局各氏が中村梅吉文相を訪れ要󠄁望󠄂書を提出、懇談。內閣訓令吿示の撤廢などの件。
  九月󠄁十五日 小汀理事長より、木內信胤常任理事に對し財務委員長の就任を要󠄁請󠄁。
  九月󠄁二十四日 中村文相に要󠄁望󠄂書を提出。
  十一月󠄁六日 第七囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、荒󠄁木萬壽夫、植松正、岡潔󠄁、菅原通󠄁濟、吉田富三の各氏。
  十二月󠄁十三日 理事會開催。「吉田提案」が再三にわたつて無視された不明󠄁朗さの問題が討議され、對策が話し合はれた。
昭和四十一年 一月󠄁十四日 理事會にて、佐藤󠄁首相の國語問題に關する發言について討議。
  二月󠄁十日 自由民主󠄁黨の政務調󠄁査會文敎委貢會に特設された國語小委員會の活動について情󠄁報交換。
  三月󠄁十日 文部省國語課から苅部良吉氏を招き、「中共文字改革の現狀」の硏究發表。
  五月󠄁二十七日 第八期󠄁國語審議會に對する態度協議。「吉田提案」の確認󠄁を求めることなどが決定。審議會第二囘總會で蒲生文化󠄁局長が「漢字制限の撤廢は毛頭考へてゐない」と發言。
  十一月󠄁五日 第八囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、福田恆存、大野晉、林武、鈴木重信、今東光、岸田今日子、森田たま、小汀利得の各氏。
昭和四十二年 三月󠄁二十六日 國語敎育硏究會開催。石井勳氏の硏究授󠄁業。質疑。
  五月󠄁十五日 理事會に文部省文化󠄁局國語課課長金田智成󠄁氏を招き懇談。
  七月󠄁十五日 木內常任理事から、六月󠄁二十一日の國語審議會漢字かな合同委員會に提出された「木內提案」について報吿、說明󠄁。
  十一月󠄁十八日 第九囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、田邊萬平󠄁、木內信胤、中西悟堂、澤潟久孝、林武、伊藤󠄁幸子、福田恆存の各氏。
  十二月󠄁十五日 西尾實氏が審議會で、制限をやめるべきことを述󠄁べたことが報吿。
昭和四十三年 四月󠄁十三日 文部省が小學校の學習󠄁漢字を昭和四十六年度から百十六字追󠄁加する原案を發表したことの報吿。
  五月󠄁十五日 本會の協贊會員制の設置が決定。理事會終󠄁了後、「湖月󠄁」に場所󠄁を移し、林武、吉田富三、市原豐太氏を中心とする「かなづかひ問題硏究會」開催。テキストは林甕臣『日本語源學』。
  七月󠄁十五日 理事會に坂田道󠄁太、荒󠄁木萬壽夫兩氏を招き、意󠄁見の交換が行はれた。
  十月󠄁十五日 「湖月󠄁」での文化󠄁廳長官今日出海氏と本會關係者との會談(十月󠄁二日)について報吿。
  十一月󠄁二日 第十囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、宇野精一、林巨󠄁樹、木內信胤、浦松佐美太郞、松田摩󠄁耶子、石井勳、小汀利得、村尾次󠄁郞の各氏。
昭和四十四年 一月󠄁十四日 理事會後「湖月󠄁」で、坂田文相就任祝賀會ならびに本會主󠄁事三名の編󠄁纂による『國語國字敎育史料總覽』の刊行披露宴。
  三月󠄁十五日 第百囘理事會。
  十一月󠄁十五日 第十一囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤、阿部吉雄、早川幾忠、進󠄁藤󠄁純孝、林武の各氏。
昭和四十五年 三月󠄁十四日 第九期󠄁國語審議會委員でかな部會長の佐々木八郞氏を招き懇談。
  六月󠄁十二日 文化󠄁廳文化󠄁部長吉里邦夫氏、國語課課長補佐進󠄁藤󠄁英夫氏を招き、改定音󠄁訓表、改定送󠄁り假名の說明󠄁を聞いた。
  六月󠄁十八日 坂田文相を圍み林武理事、岩下保主󠄁事が懇談。
  十一月󠄁十四日 第十二囘國語題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤、吉田富三、小堀杏奴、小汀利得、高倉忠博、築󠄁島裕の各氏。
  十一月󠄁十六日 本會代表、坂田文相を訪問、會談。要󠄁望󠄂書を手交。
昭和四十六年 一月󠄁十六日 小汀理事長より、自分は理事長を退󠄁き、會長として林武氏を推薦したい旨の發表があつた。
  二月󠄁十五日 役員改選󠄁。名譽會長小汀利得、會長林武、副會長吉田富三、理事長木內信胤の就任內定。
  三月󠄁十五日 第一囘評󠄁議員會開催。
  四月󠄁三日 佐々木八郞氏を招き懇談。
  五月󠄁十五日 漢字情󠄁報處理システムT4ll0を開發した高千穗交易株式會社から技術󠄁者を招いて說明󠄁を聞いた。
  十月󠄁十五日 講󠄁演會の代りに計畫されたシンポジウムに、出席を承諾してゐた松坂忠則氏が急󠄁用出來。例年通󠄁りの講󠄁演會とすることに決した。
  十一月󠄁十一日 第十三囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、太田行藏、柴生田稔、林武、中河與一、吉田富三、市原豐太の各氏。
昭和四十七年 一月󠄁二十二日 帝󠄁國ホテルにて、林武會長著『國語の建設』の出版記念會。
  二月󠄁十五日 事務局から一月󠄁十七日の高見文相との會見、また今日出海文化󠄁廳長官との會見につき報吿。
  五月󠄁十五日 衆議院文敎委員會主󠄁任調󠄁査員大中臣信令氏を招き、衆議院對策を協議。
  五月󠄁二十八日 本會名譽會長小汀利得氏逝󠄁去。
  七月󠄁十五日 副會長に舟橋聖󠄁一氏が推薦可決。會計事務を四十七年度下期󠄁から世界經濟調󠄁査會に移管の決定。
  八月󠄁二十二日 本會代表と稻葉文相との懇談會開催。本會主󠄁催國語問題懸賞論文に、山口宗良、駒井鐵平󠄁、山中光一各氏の入選󠄁が決定したことが報吿された。
  十一月󠄁十一日 第十四回國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、ベルナール・フランク、阿部吉雄、新田大作、太田靑丘、三橋敦子、戶所󠄁宏之、林武、木內信胤の各氏。
昭和四十八年 一月󠄁六日 本會代表者と奧野文相と會見、また安達󠄁文化󠄁廳長官とも會見。
  二月󠄁十五日 林會長著『國語の建設』に對する反響を編󠄁輯した『木靈』が刊行されたことが報吿。
  四月󠄁十一日 NHKの敎育番組から漢文の放送󠄁がこの四月󠄁から無くなつたことの報吿。
  四月󠄁二十八日 本會副會長吉田富三氏逝󠄁去。
  五月󠄁十五日 理事會に招かれた目黑區立小學校の高橋先生が、自分の受󠄁持クラスでの石井式漢字授󠄁業が校長、敎務主󠄁任、學年主󠄁任から制約󠄁干涉を受󠄁けてゐることを報吿。
  十月󠄁十五日 當會としての基本漢字表の作成󠄁について協議。
  十一月󠄁十日 第十五囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤、野田宇太郞、加藤󠄁常賢、稻葉修、早川聞多、グレン・ドーマン、林武の各氏。續いて第二回懸賞論文入選󠄁發表。受󠄁賞、中根隆一、上野結城の兩氏。
昭和四十九年 一月󠄁十四日 法務省が戶籍制度を改革して、名附けの漢字制限を撤廢する意󠄁向であることが一日附サンケイ新聞に報道󠄁されたことが報吿された。
  一月󠄁二十五日 新しく文敎委員長に就任した稻葉修氏、藤󠄁波政務次󠄁官ほかを招き、林武會長、舟橋副會長、木內理事長、市原豐太、宇野精一兩常任理事、岩下事務局長が懇談。
  十月󠄁二十六日 第十六囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、市原豐太、木內信胤、鈴木孝夫、舟橋聖󠄁一、ドメニコ・ラガナ、石井勳の各氏。
  十一月󠄁一日 第三囘國語問題懸賞論文入選󠄁者を會報『國語國字』第八十五號で發表。入選󠄁者、吉見孝夫、景山直治、藤󠄁原大六、正木滋彥の各氏。
昭和五十年 四月󠄁十五日 木內理事長より、地名保存に關する松山善三氏の努力について報吿。永井文相と本會役員との會見の模樣の報吿。
  六月󠄁二十八日 本會會長林武氏逝󠄁去。同日緊急󠄁理事會。 
  七月󠄁十五日 新會長に木內信胤氏、副會長には舟橋氏に加ヘ、市原豐太氏が就任することが決定。事務局長に岩下保氏が正式に任命。
  八月󠄁一日 『崩󠄁れゆく日本語』(本會監修、編󠄁著者、福田恆存、宇野精一、士屋道󠄁雄ほか、英潮󠄀肚)刊行。
  九月󠄁一日 『國語問題協議會十五年史』刊行。
  九月󠄁十三日 『崩󠄁れゆく日本語』の紀伊國屋書店の賣上げ三位。
  十月󠄁十五日 『續・崩󠄁れゆく日本語』の刊行方針決定。
  十二月󠄁一日 會報上に、第四囘國語問題懸賞論文入選󠄁者發表。受󠄁賞、占部賢志、平󠄁勢隆郞の兩氏。
昭和五十一年 一月󠄁十三日 本會副會長舟橋聖󠄁一氏逝󠄁去。
  三月󠄁十五日 中野サンプラザ國際會議室にて本會昭和五十年度總會開催。記念講󠄁演、木內信胤、市原豐太の兩氏。
  四月󠄁十日 本會監修『死にかけた日本語』刊行。
  四月󠄁十五日 理事會にて森岡健二氏の韓國の國語問題に關する講󠄁演。
  五月󠄁十日 NHK總合テレビで「人名用漢字」に關する自主󠄁番組放映。本會側からは岩下保、萩野京子、伊吹一の各氏出演。
  五月󠄁十五日 木內會長から、本會の手で四種の漢字表を作成󠄁し次󠄁回國語審議會に提案したい旨の構󠄁想が示された。四種とは、一、わが國で實際用ゐられる漢字の總覽ともいふべき六千字の表、二、日常の實務的󠄁な生活を越えて、歷史を讀み文學を語るなど、より高次󠄁の精神生活に必要󠄁と思はれる三千五百字の表、三、日常の生活に必要󠄁と見なされる二千五百字の表、四、漢字體系の基礎的󠄁骨組をなす八百字ないし千字の表、以上である。
  五月󠄁二十九日 漢字表草案作成󠄁委員會。
  七月󠄁二日 國語審議會總會における議長囘答で、「國語審議會は當用漢字表の改善について、その性格を制限的󠄁なものとはしない方針である」ことを明󠄁言。
  七月󠄁二十八日 人名用漢字二十八字追󠄁加、卽日施行。本會は漢字表案について檢討繼續。
昭和五十二年 一月󠄁二十一日 國語審議會が「新漢字表試案」發表。
  三月󠄁十七日 昭和五十一年度「國語問題協議會の栞」發送󠄁。
  三月󠄁二十七日 第十八囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤、小堀桂一郞、碓井正久、福田恆存の各氏。
  四月󠄁十五日 審議會から當會に「新漢字表試案」について意󠄁見を求めてきてゐるので、理事は次󠄁回まで意󠄁見を提出することが決定。
  九月󠄁十六日 會報編󠄁輯に畔󠄁上知時氏の擔當が決まる。
  十月󠄁十六日 フジテレビで福田恆存、石井勳兩氏の對談放映。
  十二月󠄁十五日 林巨󠄁樹理事より、審議會に提出すべき假名遣󠄁に關する試案について說明󠄁。
昭和五十三年 一月󠄁十四日 石井勳氏より、審議會に提出する「國語敎育の在り方」に關する試案について說明󠄁。「荒󠄁魂之會」から三潴信吾理事に資󠄁料が送󠄁られた旨報吿。公文式數學塾で石井式漢字敎育法が採󠄁用されることになつた件の報吿。
  三月󠄁二十八日 第十九囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤、石井勳、市原豐太、岩下保の各氏。
  四月󠄁十五日 前󠄁日の田中美知太郞氏の出版記念會についての報吿があり、席上小林秀雄氏が「國語問題協議會は暴れるだけ暴れて欲しい」旨語つてゐた由報吿。
  六月󠄁十五日 石井勳氏から、「東大工學部の山田先生が、五十音󠄁の組合せでローマ字タイプと同じやうな形式で打てる漢字タイプを開發したといふ珍しい話を聞いた」との談話があつた。
  十一月󠄁四日 第二十囘國語問題講󠄁演會開催。シンボジウム形式をとる。總合司會木內信胤、發言者、筧泰彥、林巨󠄁樹、小田村寅二郞、石井勳の各氏。
  十二月󠄁十五日 事務局に新しく賴愛子氏參加の決定。
昭和五十四年 二月󠄁十五日 我々の漢字表の作成󠄁作業について報吿。漢字數については土屋道󠄁雄第三案(三三八七字)を基礎とすることが決定。
  三月󠄁二十七日 第二十一囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤、福田恆存、村尾次󠄁郞、小掘杏奴の各氏。當會の「新漢字表」が笠間書院から出版されることに決定の報吿。
  十月󠄁十五日 松井武男理事から、最近󠄁行はれた印刷技術󠄁の展示會について報吿。
  十一月󠄁十五日 第二十二囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、松井武男、三橋敦子、木內信胤の各氏
昭和五十五年 三月󠄁二十七日 第二十三囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、新田大作、筧泰彥、木內信胤の各氏。
  八月󠄁二十九日 特別理事會開催。『敎養󠄁のための基本漢字表』の普及󠄁󠄁方について協議。
  十一月󠄁二十二日 第二十四囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、岩田誠󠄁、石井勳、木內信胤の各氏。
  十二月󠄁十五日 『敎養󠄁のための基本漢字表』の反響報吿。「月󠄁曜󠄁評󠄁論」紙上の桶谷繁雄氏による書評󠄁が紹介。
昭和五十六年 三月󠄁二十三日 國語審議會「常用漢字表」最終󠄁答申。
  三月󠄁二十七日 第二十五囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、筧泰彥、春遍󠄁雀來(ハルペン・ジャック)、市原豐太、木內信胤の各氏。
  九月󠄁二十八日 木內信胤、市原豐太、岩下保の各氏、田中文相と會見し、第十五期󠄁國語審議會委員候補者名簿󠄁を手交。なほ諸澤事務次󠄁官、佐野文化󠄁廳長官も同席。
  十月󠄁一日 「常用漢字表」(一九四五字)吿示。これに伴󠄁ひこれまでの「當用漢字表」「當用漢字字體表」「當用漢字音󠄁訓表」廢止。同日、法務省令により戶籍法施行規則改正、公布、卽日施行。
  十一月󠄁二十一日 第二十六囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、鈴木孝夫、夜久正雜、木內信胤の各氏。
  十二月󠄁二十四日 事務局淸水茂子さん逝󠄁去。
昭和五十七年 一月󠄁十四日 「われわれの日本文法」の定立につき努力すべきことを討議。
  五月󠄁八日 第二十七囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、築󠄁島裕、鹽崎昇吉、木內信胤の各氏。
  十一月󠄁二十日 第二十八囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、渡部昇一氏、山本夏彥、市原豐太兩氏の對談、木內信胤氏。
  十二月󠄁十五日 『辰野隆隨筆集』(全󠄁五卷、福武書店)編󠄁輯委員の市原豐太氏から、氏の說得で歷史的󠄁假名遣󠄁になつた旨報吿。石井勳氏から、英雜誌『ネイチャー』に出た、日本の子供の知能指數が歐米より十%高いといふリチャードソン博士(英)の硏究論文についての報吿。木內埋事長から、近󠄁く發足する「全󠄁國地名保存連盟󠄁」の設立經過󠄁報吿。
昭和五十八年 一月󠄁二十四日 理事會にNHK敎育テレビのディレクター池田惠埋子氏他四名取材來會。放映は三月󠄁豫定。
  五月󠄁七日 第二十九囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、大口道󠄁雄、渡邊茂、木內信胤の各氏。
  十一月󠄁二十六日 第三十囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、林巨󠄁樹、村松剛、木內信胤の各氏。
昭和五十九年 一月󠄁十七日 「日本文法新論」について協議。
  五月󠄁二十六日 第三十一囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、野田英二郞、中島文雄、木內信胤の各氏。
  十一月󠄁二十四日 第三十二囘語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、市原豐太、岩下保、木內信胤の各氏。
  十二月󠄁十四日 理事會にて韓國漢陽大學校敎授󠄁都珖淳氏の講󠄁演。「文藝春秋」新年號に市原豐太氏の「國語審議會委員への公開狀」揭載の報吿。
昭和六十年 一月󠄁十八日 市原豐太、岩下保兩氏が、「文藝春秋」「諸君」編󠄁輯者と會合。
  三月󠄁十五日 衆議院議員瀧澤幸助氏來會、紹介、挨拶あり。
  五月󠄁二十五日 第三十三囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、高井有一、澤柳大五郞、木內信胤の各氏。
  十一月󠄁二日 第三十四囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤、中村元、石井勳の各氏。また石井講󠄁演に關し、筧泰彥、林巨󠄁樹、三潴信吾、木內信胤各氏による質疑。
昭和六十一年 一月󠄁十日 瀧澤幸助議員の努力により「國語問題を考へる議員懇談會」結成󠄁の動きが報吿。
  二月󠄁七日 上記「懇談會」(會長稻葉修氏。會員六十三名)結成󠄁。
  二月󠄁四日 當「懇談會」事務局長の船田元議員を宇野精一、岩下保兩氏が訪問。
  三月󠄁五日 「改定現代假名遣󠄁い」の答申延󠄁期󠄁を海部文相、三浦文化󠄁廳長官に申し入れ。
  六月󠄁十四日 第三十五回國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤、石井勳、高橋美江、岩下保の各氏。ほか林巨󠄁樹氏司會による討論「國語敎育の諸問題」。
  七月󠄁一日 「現代假名遣󠄁い」吿示。これに伴󠄁ひ「現代かなづかい」廢止。
  九月󠄁二十日 「國語問題を考へる國會議員懇談會」で林巨󠄁樹氏が講󠄁演。
  十一月󠄁八日 第三十六回國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、筧泰彥、瀧澤幸助、木內信胤の各氏。
昭和六十二年 一月󠄁十六日 新しい國語審議會(第十七期󠄁)に對して要󠄁望󠄂すべきことを協議。
  六月󠄁二十日 第三十七回國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、村尾次󠄁郞、船田元、木內信胤の各氏。
  十一月󠄁十四日 第三十八囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、宇野精一、小堀杏奴、木內信胤の各氏。
    この年を通󠄁じて、木內會長提唱の國語敎育論について論議が交はされた。
昭和六十三年 一月󠄁十三日 「國語問題を考へる國會議員懇談會」の活動について瀧澤幸助議員から報吿があつた。船田事務局長は今回文部政務次󠄁官に就任したが「議員懇」の活動は續けるとのこと。
  二月󠄁二十六日 朝󠄁日新聞に、野元菊雄氏の「簡約󠄁日本語」に關する記事揭載。瀧澤議員が國立國語硏究所󠄁に電話で苦言を呈󠄁したところ、早速󠄁釋明󠄁に來たとのこと。
  三月󠄁三十一日 「簡約󠄁日本語」に關し、木內會長以下、宇野、林の兩埋事、岩下事務局長が船田文部次󠄁官と會見。
  五月󠄁十六日 理事會で、國際日本語普及󠄁󠄁協倉專務理事の西尾珪子氏から講󠄁話。質疑應答あり。
  六月󠄁十一日 第三十九囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、三潴信吾、西尾珪子、木內信胤の各氏。
  十一月󠄁十二日 第四十囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、石川洋子、新井寬、小田村四郞、木內信胤の各氏。
昭和六十四年 一月󠄁十二日 先帝󠄁の崩󠄁御に關はり各理事から所󠄁感。
平󠄁成󠄁元年   新元號につき石井理事から解說あり。
  二月󠄁八日 市原副會長以下、新井、林、三潴各理事、岩下事務局長、及󠄁󠄁び瀧澤議員が、高辻󠄁法務大臣と會見、人名漢字に關して要󠄁望󠄂を傳へた。高辻󠄁法相は、漢字の制限廢止を含めて民事行政審議會に諮󠄁問する意󠄁向を示した。
  三月󠄁十三日 民事行政審議會委員である林巨󠄁樹理事から、審議の模樣について報吿。
  六月󠄁十七日 第四十一囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、石井倫子、若井勳夫、石井公一郞、木內信胤の各氏。
  七月󠄁十四日 『國語問題協議會十五年史』の續編󠄁を作ることについて檢討。
  十一月󠄁十一日 本會創立三十周󠄀年記念、第四十二回國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、丸山和光、江藤󠄁淳、金兩基、木內信胤の各氏。なほこの囘までの講󠄁師、演題一覽を小册子として印刷配附。
平󠄁成󠄁二年 三月󠄁十六日 第三百囘理事會開催。
  六月󠄁九日 第四十三囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、小澤重男、木內信胤の兩氏、また岩下事務局長司會、三橋、林、宇野、筧各理事參加の討論。
  八月󠄁十四日 市原豐太副會長逝󠄁去。
  九月󠄁十八日 岩下事務局長より、本會の名稱の變更を含めた改組の提案が示された。
  十一月󠄁十七日 第四十四囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、岩下保、鈴木孝夫の兩氏、また林理事司會による討論。なほ、この囘までの講󠄁師、演題一覽に本會宣言文及󠄁󠄁び「同胞󠄁各位に訴へる」を合せまとめたものを小册子として作成󠄁配附。
平󠄁成󠄁三年 一月󠄁十六日 第十八期󠄁國語審議會に對するわれわれの態度を協議。
  二月󠄁七日 國語審議會「外來語の表記」答申。
  六月󠄁十五日 第四十五囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤氏、また新井、木內、石井、林各理事が答へる形で質疑應答。
  十一月󠄁二日 第四十六囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、川久保廣衞、齋藤󠄁秀夫、木內信胤の各氏。
  十二月󠄁十二日 韓國ソウルでの日韓中臺による漢字國際シンボジウム(十一月󠄁)に出席した石井理事から、各國漢字事情󠄁について報吿。
平󠄁成󠄁四年 二月󠄁十七日 木內會長より、會報以外にも簡單な形の刊行物をもつと出したいとの提案。
  六月󠄁二十日 第四十七囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、阿辻󠄁哲次󠄁、西尾珪子、木內信胤の各氏。
  七月󠄁十五日 市川浩氏から、氏のグループが開發した正書法印刷出版の方法について講󠄁話、質疑。
  八月󠄁二十二日 島根縣簸川郡斐川町中央公民館にて第四十八囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、石井勳、岩下保、三潴信吾の各氏。司會は斐川町敎育委員會の江角龍󠄁夫氏。
  十一月󠄁七日 第四十九囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、原田種成󠄁、小池淸治、木內信胤、村尾次󠄁郞の各氏。
  十一月󠄁八日 船橋私立法典小學校(校長土屋秀字氏)の漢字敎育公開授󠄁業を見學。
  十二月󠄁十八日 國語審議會作成󠄁の「現代の國語をめぐる諸問題について」を檢討討議。
平󠄁成󠄁五年 一月󠄁二十日 瀧澤幸助氏による、今日の世相、政治に關する講󠄁話。「現代の國語をめぐる諸問題について」繼續檢討。
  二月󠄁五日 上記に關する本會埋事の見解を國語審議會各委員に送󠄁附。
  六月󠄁十二日 第五十囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、木內信胤、字野精一、丸山和光、小田村四郞の各氏。
  十月󠄁十五日 木內會長の入院といふ事態もあり、このたび廣く寄附を募ることとして各方面に依賴。
  十一月󠄁十三日 第五十一囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、土屋秀宇、原田種成󠄁、筧泰彥、石井勳の各氏。本會役員構󠄁成󠄁ほか運󠄁營上の諸懸案について繼續討議。
  十二月󠄁五日 木內信胤會長逝󠄁去。
  十二月󠄁十七日 新會長として宇野精一副會長が選󠄁任可決。なほこの年を通󠄁じ、木內會長から提議されてゐる、言葉と文明󠄁との關係に關する諸問題が種々論議された。
平󠄁成󠄁六年 一月󠄁十九日 副會長として石井勳理事、林巨󠄁樹理事が選󠄁任された。平󠄁成󠄁六年度事業計畫、維持會員制度等について協議。
  二月󠄁十八日 贊助會員を募ることについて協議、決定。
  四月󠄁二十日 本會事務所󠄁、現在地(目白)移轉のことを協議、決定。
  六月󠄁十八日 第五十二囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、石井勳、三橋敦子、宇野精一、林巨󠄁樹の各氏。
  六月󠄁二十八日 評󠄁議員土屋秀宇氏が前󠄁校長として石井方式漢字敎育を導󠄁入し實踐した成󠄁果が評󠄁價され、千葉縣船橋市立法典東小學校が讀賣敎育賞國語敎育部門で優秀賞を受󠄁賞した。
  七月󠄁十三日 「目白學藝院」敎養󠄁講󠄁座の開講󠄁につき協議。
  十一月󠄁十二日 第五十三囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、鈴木智子、田中瑛也、石川忠久、宇野精一、新井寬の各氏。
  十一月󠄁二十日 本會創立者の一人で、戰後の國語問題正常化󠄁に盡力した福田恆存氏逝󠄁去。
  十二月󠄁 目白學藝院開講󠄁
平󠄁成󠄁七年 一月󠄁十七日 會報以外のリーフレットの發行について協議。
  四月󠄁二十八日 「假名遣󠄁ちかみち」(山田孝雄監修、小島好治編󠄁、山田忠雄訂補)覆刻刊行
  六月󠄁二十四日 第五十四囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、山下宏一、林巨󠄁樹、阿川弘之、宇野精一、三潴信吾の各氏。
  七月󠄁十八日 洪潤基氏を招き、韓國における國語問題について講󠄁話。會報以外に「國語問題協議會たより」の刊行が決定。
  十一月󠄁十一日 第五十五囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、林巨󠄁樹、三輪晃久、村尾次󠄁郞、新井寬の各氏。
  十二月󠄁九日 理事、評󠄁議員の增強について協議。去る十月󠄁十七日の、第二十期󠄁國語審議會中間答申「現代國語について」を巡󠄁つて討議。傳統表記復興を期󠄁する七ケ年計畫案(岩下試案)が提出され協議。
  十二月󠄁 「國語問題協議會たより」第一號發行
平󠄁成󠄁八年 二月󠄁十日 日韓中臺の學者による第三囘國際漢字會議の開催について、日本側代表である石井勳副會長から報吿。
  五月󠄁二十五日 第五十六囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、大橋伊佐男、半󠄁田一郞、宇野精一、石井勳の各氏。「平󠄁成󠄁七年度國語施策懇談會」の模樣につき林巨󠄁樹理事、市川浩會員から報吿。
  四月󠄁十二日 理事會にて、古家時雄氏の「漢字文化󠄁圈での漢字統合と漢字を構󠄁造󠄁的󠄁に埋解するための檢索方法」と題する講󠄁演。古家氏は㈱工-アイ・ネット代表取締役。
  十一月󠄁九日 第五十七囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、前󠄁川孝志、山口康助、宇野精一の各氏。
  十一月󠄁二十三日 本會事務局長岩下保氏逝󠄁去。
  十二月󠄁十四日 役員會員制度について協議。
平󠄁成󠄁九年 一月󠄁十一日 役員會員制度を檢討。人選󠄁、依賴狀の作成󠄁發送󠄁事務。
  六月󠄁十四日 第五十八囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、新井寬、萩野貞樹、石井勳、宇野精一の各氏。
  七月󠄁十五日 會則の改定、「栞」の刊行について協議。
  十月󠄁十四日 大口道󠄁雄試案を基として會則の改定を討議し、理事會で承認󠄁。
  十一月󠄁八日 第五十九囘國語問題講󠄁演會開催。講󠄁師、杜聰明󠄁(ドトンミン)、倉島長正、宇野精一の各氏。總會にて會則改定案承認󠄁。

(萩野・記)

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