國語問題の變遷󠄁と本協議會
國語問題協議會設立の經緯
今では信じられない事ですが、「日本語から漢字を無くせ」と大眞面目に主󠄁張する人がゐて、政府も將來的󠄁な漢字廢止を目標としてゐた時期󠄁(明󠄁治三十五(一九〇二)年~昭和四十(一九六五)年)がありました。そして漢字を無くすと、漢字に隱れた假名遣󠄁が表に出るので、假名遣󠄁も槍玉に擧がりました。「貧しくて敎育の不十分な子供が多い」「臺灣・朝󠄁鮮・南洋群島をはじめ日本の支配する異民族兒童への日本語敎育が求められる」「活版印刷やタイプライターなど重くて場所を取る活字の必要󠄁な印刷手段しか無かった」時代に「善かれと思って」贊同した人も少なからずゐました。一方それに反對した人々も文筆家や國語學者をはじめ多くゐましたし、戰前󠄁はこの種の極端な改革案が出るたびに大勢に反對されて潰れる事が繰返󠄁されました。
ところが戰後の混亂期󠄁に、これまで國民に反對され續けてきた國語改革は、GHQといふ「虎の威を借りて」電擊的󠄁に實施されたのです。