本會先達󠄁顯彰頁
宇野精一名譽會長の言葉
平󠄁成󠄁九年撮影、米壽(八十八歲)
- すべては日本語に在り
- 栞 增補第六版の發行に寄す
- 古文の辯(『文語の苑』の「詞藻樓」に所󠄁載)
福田恆存先生顯彰頁
大正元年(一九一二年)生、平󠄁成󠄁六年(一九九四年)歿
昭和三十年、東京丸の內を步く若き福田恆存
撮影 濱谷 浩
(寫眞は濱谷氏著作權繼承者の片野惠介氏より國語問題協議會ホームページのみに寫眞使用許諾を頂きました。茲に記して感謝申上げます。轉載を固く禁ず)
かうして幾多の先學の血の滲むやうな苦心努力によつて守られて來た正統表記が、戰後蒼惶の間、人々の關心が衣食のことにかかづらひ、他を顧󠄁みる餘裕のない隙に乘じて、慌󠄁しく覆されてしまつた、まことに取返󠄁しのつかぬ痛恨事である。しかも一方では相も變らず傳統だの文化󠄁だのといふお題目を竝べ立てる、その依つて立つべき「言葉」を蔑ろにしておきながら、何が傳統、何が文化󠄁であらう。なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか。
―――『福田恆存全󠄁集』第四卷、「覺書」終󠄁節
福田恆存は本會創立者の一人で、常任理事を務めました。
- 追󠄁悼・福田恆存先生(谷田貝常夫 常任理事・事務局長(當時))
- 『私の國語敎室』より
- 『建白書』より
吉田富三博士顯彰頁
明󠄁治三十六年(一九○三年)生、昭和四十八年(一九七三年)沒
「あの漢字假名交り文を以て正則とするといふキャッチフレーズは、國語審議會委員のみならず、文部省をして衿を正さしめた見事なものであつた」(舟橋聖󠄁一)
「私はものを考へるときは必らず漢字といふものを思ひ出して考へる、漢字無くしてものを考へることはできない」
「人間はいつ死んでもいいのだ、いい仕事をやれば、誰かが必らずこれを受󠄁繼ぐに決つてゐる、だから生きてゐたら一日でもいい仕事を多くするのだ、自分はそれしか考へない」