次󠄁頁前󠄁頁目次󠄁全󠄁體目次󠄁ホームページ

四-十 三上參次󠄁の假名文字論

 明󠄁治三十三年二月󠄁十二日、前󠄁島、岡倉に次󠄁いで、三上參次󠄁の「國字改良に關する意󠄁見」が讀賣新聞に揭載された。三上は先づ簡單に國語國字の歷史的󠄁考察を試みた後、假名でも「强健な立派」なものが書けるとして、「論より證據かの草雙紙には繪のすきますきま、人の腋の下や股の間に假名ばかりで書いてあるが、なかなか名文があるではないか」と述󠄁べてをり、三上の理想は草雙紙のやうな文章にあるらしい。次󠄁いで、三上は「同居させて居るところの漢字に出てもらつてもとの假名世帶にするが一番穩當な仕方」であらうが「急󠄁速󠄁に漢字を別居させることは六かしからう」から、二十年を三期󠄁位に分けて、千五百字、千字、五百字といふやうに徐々に漢字を別居させるがよいと述󠄁べてゐる。更に假名は平󠄁假名と片假名の兩方を用ゐ、ヴギなど既に使用されてゐるものは勿論のこと、必要󠄁な假名は增加し、書式は橫書きがよいと述󠄁べ、最後を次󠄁のやうに結んでゐる。

*附けて言ふ吾輩は假名專用を主󠄁張するけれども、假名同樣の學び易い漢字五十字位は何時までも用ひてよいと思ふ上、中、下、土、山、人、子の如きである、されども若し世人が之を漢字制限說だと見るやうなればこの考を强ひて主󠄁張はしない

 三上は、多少漢字を存した方が便利だと思ながら、漢字制限說だと言はれることを嫌󠄁ひ、實質よりも假名說といふ名目の方に執着してゐるわけである。これは、當時の有識者の多くが舊弊󠄁視されることを極度に恐󠄁れてゐたことの一例ともなつてゐる。


次󠄁頁前󠄁頁目次󠄁全󠄁體目次󠄁ホームページ