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六-一 驛名表記をめぐつて

 大正十五年(昭和元年)十一月󠄁二十日「カナモジカイ」は井上匡四郞鐵道󠄁大臣、種田運󠄁輸󠄁局長などに「鐵道󠄁驛名標ニツイテノ請󠄁願」を提出し、驛名を左橫書きの發音󠄁式片假名で表記するやう要󠄁望󠄂してゐる。次󠄁いで十二月󠄁五日に「ローマ字ひろめ會」が「鐵道󠄁驛名ローマ字綴リに付建白書」を井上鐵道󠄁大臣に提出し、從來のヘボン式ローマ字を改めないやう要󠄁望󠄂すれば、十二月󠄁十八日には、小川健次󠄁郞外二十四名は「鐵道󠄁揭示板驛名書キ方ニ關スル建議」を同じく井上鐵道󠄁大臣に提出し、ローマ字綴を日本式に改めるやう要󠄁望󠄂するといふ風に、驛名表記をめぐつて激しい攻防戰が展開された。更に翌󠄁昭和二年二月󠄁二十四日、藤󠄁岡勝󠄁二、嘉納󠄁治五郞、鎌󠄁田榮吉など二十六名は「ローマ字綴りに付建白書」を鐵道󠄁大臣に提出し、從來のヘボン式綴を變更しないやう要󠄁望󠄂すると共に、變更する場合には有力な調󠄁査機關を設けて決定するやう請󠄁願してをり、また同日に、加納󠄁治五郞、阪谷芳郞など十餘名は、若槻總理大臣と岡田文部大臣に、ローマ字綴方調󠄁査會を設置すべきであるといふ建議を行つてゐる。かうした動きを反映して、四月󠄁七日、鐵道󠄁省は鐵道󠄁揭示例規として、左橫書きの發音󠄁式假名を採󠄁用するといふ通󠄁達󠄁を行ひ、既に書きかへ作業を始めてゐたが、新たに鐵道󠄁大臣に就任した小川平󠄁吉は、同二年五月󠄁四日、驛名の書きかへ作業を中止させると共に、七月󠄁二日鐵道󠄁揭示例規を以てローマ字綴方はヘボン式であるといふ通󠄁達󠄁を行つた。


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