次󠄁頁前󠄁頁目次󠄁全󠄁體目次󠄁ホームページ

六-十四 山內の假名遣󠄁調󠄁査

 昭和七年二月󠄁、山內千萬太郞の「新聞・雜誌及󠄁󠄁び各種學校における假名遣󠄁の調󠄁査」が『國語と國文學』に揭載された。山內は國語の假名遣󠄁はむづかしい、從つて世間に行はれてゐないと云ふ。之について社會における實情󠄁を知るために、こゝに新聞雜誌及󠄁び各種學校の學生について、假名遣󠄁の正誤󠄁を調󠄁査したのがこの報吿である」とし、五種の新聞、七種の雜誌の假名遣󠄁の誤󠄁りを拾ひ集め、これを分類整頓󠄁し、その正誤󠄁の率󠄁を算出してをり、各種學校については「生徒の作文による調󠄁査と、こちらから豫め選󠄁んだ六十の語例を提出してそれの用ひられる場合や意󠄁味を詳しく設明󠄁した上で、各語を全󠄁部假名で書かせたものによる調󠄁査との二通󠄁りの方法を採󠄁り、一語一語について正誤󠄁數とその誤󠄁りの內譯を示してゐる。そして結論において、國語敎育における內容主󠄁義、鑑賞主󠄁義も結構󠄁であるが「先づ發音󠄁・文字・假名遣󠄁を正しく敎へねばならぬ」と述󠄁べ、假名遣󠄁を頭からむづかしいときめてかかることの誤󠄁ちを指摘し「假名遣󠄁を發音󠄁式にした處で、いゝ加減にやつてゐては、やはり誤󠄁るであらう」と述󠄁べてゐる。この山內の論文の後に「編󠄁輯者附記」があり、それには

*今の正しい假名遣󠄁は實際には行はれて居ないといふ。それではどれほど間違󠄂つてゐるのであるか、又、どんな語でも同じやうに間違󠄂ふのであるか。又、今の假名遣󠄁は學習󠄁に困難であるが故に、敎育の效果が擧らぬといふ。それでは、どれほど學校で、假名遣󠄁の敎授󠄁に骨を折つて、それで實際どれほど間違󠄂ふのであるか。かやうな點について、確實な事實を明󠄁らかにしない以上は、その論は空疎に陷り、何人をも首肯せしめる事ができないのは當然である。

とあり、山內に調󠄁査を委囑した趣意󠄁を明󠄁らかにすると共に、暗󠄁に國語調󠄁査會を批判󠄁してゐる。


次󠄁頁前󠄁頁目次󠄁全󠄁體目次󠄁ホームページ