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六-三十三 松尾の『國語と日本精神』及󠄁び松坂の「火の赤十字」

 昭和十四年五月󠄁に刊行された松尾捨󠄁治郞の『國語と日本精神』は七章から成󠄁つてゐるが、松尾はその第六章第五節「漢字廢止論の妄󠄁」において「吾人が書物や新聞雜誌を讀む時に當つては、漢字を用ゐ漢字を知つて居る御蔭で、一々文字を拾ひ讀せず、一見したゞけで、其の漢字の傳へる內容を把握出來ます」「我國文化󠄁の發展は、漢字による讀解の早さと一種の關係を有して居るといつても、決して妄󠄁斷では無いと信じます」と論じてゐる。

 同十四年九月󠄁、柳田國男は『國語の將來』を刊行し、「國語の歷史を明󠄁かにして行くと、少なくとも國語は批判󠄁すべきものだといふことがわかつて來る」と、國語の改良を暗󠄁示する反面、「國民集合の力の是ほども重んぜられる御時勢に際して、なほ量の足りない御粗末な手本を揭げて、それで國語が統一し得られると、思って居る者の多いのには全󠄁くうんざりする。出來る筈は無いのである」と、國語改良の容易でないことを說いてゐる。

 また十月󠄁に松坂忠則は『話』に五百字制限漢字による「火の赤十字」といふ戰場手記を發表した。その文學的󠄁價値は問はぬとしても、漢字と平󠄁假名・片假名とが雜然と混入されてゐて實に讀みにくいものである。一例を擧げれば「他のショウコウがみな戰ショウの外科カンジャで」「ニワのイシダクミをフミならしてクグリをくぐり」といふやうなものである。あの杜撰な五百字案を忠實に守らうとすれば「手チョウ」「コン約󠄁」「大イ」などとせねばならぬわけである。「大イ」などとするより「大尉」とした方が讀解が容易であることは說明󠄁するまでもないことである。

 翌󠄁十五年二月󠄁二十九日、陸軍は「兵器名稱及󠄁び用語の簡易化󠄁に開する通󠄁牒」を發し、用語の簡易化󠄁を圖ると共に、一級󠄁漢字九百五十九字、二級󠄁漢字二百七十六字、合計千二百三十五字に漢字を制限しようとした。その一端を示せば、歪輪を「カム」、縫󠄁綴機を「ミシン」、制動機・制轉機を「ブレーキ」、提把・握把を「握り」、節動輪を「はずみ車」、傳聲筒を「メガホン」に改めてゐる。


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