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七-四十 『聲』の座談會

 昭和三十五年一月󠄁の『聲』は「國語政策と國語問題」と題する座談會の速󠄁記を揭載してゐるが、出席者は、國語審議會の土岐善麿󠄁(會長)、倉石武四郞(副會長)、原富男、國立國語硏究所󠄁の岩淵悅太郞、文部省國語課の白石大二(課長)、廣田榮太郞、國語學者の大野晉、文藝家協會國語調󠄁査委員の山本健吉、福田恆存、龜井勝󠄁一郞、澤野久雄、中村光夫、加藤󠄁周󠄀一の十三名である。この座談會で特に注󠄁目されるのは、「現代かなづかい」制定當時には正書法といふ考方すらなかつたことを認󠄁め、土岐が「かなづかひに語意󠄁識といふ考へを加へてゆけば、現代かなづかひは表音󠄁的󠄁でないかといふ形の非難なり批判󠄁に答へられる。語意󠄁識といふものが加はれば說明󠄁がつくだらう。といふ工合に私は考へたわけです。そこで正書法といふこといひ出した」と發言してゐることである。これは、「現代かなづかい」が單純素朴な表音󠄁主󠄁義によつて制定された暫定措置であることを立證するものであり、正書法といふ考方は單に「現代かなづかい」の矛盾に對する批判󠄁の鋒先をそらすために捏造󠄁されたものであることが解る。

 また倉石が「當用漢字千八百五十といふものを、自分自身はそのまゝ守りたいとは、ちつともおもつてゐないわけです」といふような發言をしてゐるが、當用漢字に限らず、音󠄁訓表にせよ新送󠄁假名法にせよ、制定した當事者にさへ實行不可能なものであるばかりか、實行する意󠄁思さへないやうなものなのである。隨つて、戰後內閣訓令・吿示を以て施行された一連の改革案は、すべて官廳相手のもので、一般の國民や新聞社には直接關係ないものなのである。にも拘らず、事實上國民の言語生活を拘束するやうな結果になつてゐるのは、極めて遺󠄁憾なことである。原因は訓令・吿示といふ形式そのものにもあるが、審議會自身が、故意󠄁であるかないかは別として、それに對する措置を何一つ講󠄁ずることなく無策に終󠄁始したことにある。


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