八-五 近󠄁藤󠄁祐康の國語改革批判󠄁
麻󠄁布學園・東京大學附屬學校講󠄁師の傍國語問題協議會の庶務擔當主󠄁事として雜務を一手に引受󠄁けてゐる近󠄁藤󠄁祐康は、昭和三十八年六月󠄁の『國語國字』に「國語表音󠄁化󠄁の背景と趨勢」と題して、「今の國民はどの世代を問はず、多かれ少かれ西洋偏󠄁重敎育を受󠄁けてゐる。このやうな他國が主󠄁、自國が從にある趨勢が續く限り、この國の文化󠄁はあらゆる面で齟齬をきたすことはまぬがれ難い。國語國字文化󠄁の運󠄁命もその例外たりえない」とし、「明󠄁治以後の國語問題を展望󠄂してみても、一部の國粹主󠄁義的󠄁表音󠄁主󠄁義者を除いては、大部分、能率󠄁主󠄁義、機械主󠄁義を文化󠄁の基本と考へる西歐亞流の思想に犯された國際主󠄁義的󠄁、西洋主󠄁義的󠄁表音󠄁主󠄁義者によつて占められ」「朝󠄁野相呼應して、半󠄁世紀以上に亙りこの國の國語國字の西歐亞流化󠄁を推進󠄁してきた」「彼等は國民をしてやみくもに表音󠄁主󠄁義への途󠄁にいざなひ、果てはどこへ導󠄁かうとするのであるか。國民は今こそ國語問題の歸趨がいかなる意󠄁味をもつかを自覺し、表音󠄁主󠄁義者の手中を逃󠄂れ、將に蕪れなんとしてゐる國語國字の田園を耕耨しなければなるまい」と訴へてゐる。
更に「戰後、政府が施した諸改革で最も大きな過󠄁誤󠄁は國語表記上の誤󠄁り若しくは俗體に正當的󠄁位置づけを承認󠄁したことである。このため、國民は國字についての正、通󠄁、俗の觀念や國語に對する正否の意󠄁識を失つた。凡そ、國語、國字は文化󠄁財以上のものであつて、その價値は一時代の一政府ごときが評󠄁價すべきものではなく、況して、その處斷については、臨深履薄の態度をもつてしても、なほ足らない」と嚴しく批判󠄁し、最後に「年々二百萬を越える新世代が新表記の洗禮を受󠄁けて義務敎育を巢立つてゐる。戰後の諸改革の過󠄁誤󠄁を早急󠄁に是正せねば、やがて彼等新世代がこの國の大半󠄁を占める時、或いは彼等の企畫は現實となり、明󠄁治以後この國を侵󠄁蝕した西洋化󠄁の波は終󠄁にこの島をその波間に沒し去るであらう」と警吿してゐる。