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八-二十一 林武の『國語の建設』

 昭和四十六年十一月󠄁、林武の『國語の建設』が出版された。本書の帶に「假名一字一字には日本人の生命がこもつてゐる。この事實と重みを看過󠄁した『現代かなづかい』は、五十音󠄁體系を破壞し、私たちの正常な言語感覺を損つた」「語原と五十音󠄁圖を尊󠄁重して、初めて美しい言葉、正しい國語が育まれる。本書は、假名づかひはなぜ歷史的󠄁假名づかひでなければならないかを明󠄁らかにする、日本語を愛する人のための本である」とある。

 戰後の日本の國語改革が間違󠄂つてゐたことは誰の目にも明󠄁かである。ただその過󠄁誤󠄁をどう是正するかであるが、最早一時凌ぎの彌縫󠄁策ではどうにもなるまい。もつと本質的󠄁な考察の上に立つた解決策、例へば假名遣󠄁については、假名遣󠄁とは何かとか、本來假名遣󠄁はどうあるべきかといふ視點から根本的󠄁な解決策が打出されなければならないだらう。さういふ意󠄁味で、本書は時宜に適󠄁つた勞作と言へよう。

 林は「子供を育てるのは母親である。母親にまさるものはない。さういふ意󠄁味で、國語についても、母親はもつと關心を持ち、美しい、正しい日本語で子供を敎育するやう務めなくてはいけない。さういふ努力をしてゐれば、親と子の斷絕など起󠄁らないと僕は思ふ。特に、戰後の敎育を受󠄁けた母親は、國語力が劣つてゐるので、頑張つて勉强しないといけない。僕は國語敎育はまづ母親からと言ひたい。母親が立派な日本語を身につけてゐれば、子供は自然にその感化󠄁を受󠄁けるはずである。さうでないと、美しい、正しい日本語は滅亡󠄁してしまふであらう」「われわれは言葉に對して敬虔な氣持をもたなければいけない。敬虔な氣持を失ふと、まづ言葉が亂れ、次󠄁いで精神が荒󠄁廢する」と警吿してゐる。

 川端康成󠄁は「著者は三代にわたる國學の家の人」であり「あの大きい畫業の一方に、國語學者、國語愛者としても知られ」「父󠄁祖傳來」の「魂は勿論、今日の傑れた藝術󠄁家、林武氏自身のものに生成󠄁創造󠄁され、今日の國語事情󠄁に對應しての『憂國の志』として、この著に湧出してゐる。これは切實な民族愛、傳統愛の訴への情󠄁熱の書で、萬人必讀すべきではあるまいか」と本書に推薦の辭を寄せてゐる。


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