次󠄁頁前󠄁頁目次󠄁全󠄁體目次󠄁ホームページ

八-四十二 村松嘉津の『日佛の間に在りて』

 昭和五十四年八月󠄁、村松嘉津の『日佛の間に在りて』が出版された。村松が終󠄁戰直後に日本を離れ、長くフランスに滯在してゐる間に、フランスでも綴字法の簡易化󠄁案が發表されたが、フランス人の對應が見事であつたことに觸れ、村松は「特に感ずるのは、彼等が自國語を以て『われわれ先祖の國民的󠄁遺󠄁產』とか、『國民的󠄁世襲財產』とかいつて、これを尊󠄁び護らうとする眞劍な態度であり、もう一つは、國語國字にむやみな改變を施すことは、一時的󠄁な政權掌握者の機能以上だといふジュール・ロマン以下の人々の意󠄁見であります。われらの財產を勝󠄁手にもてあそばれてたまるものか、といふ國語愛と市民的󠄁自尊󠄁心であります」と述󠄁べ、日本人の腑甲斐なさを嘆じ、「漢字を抑へた代りに外國語が滔々と氾濫してゐる」「要󠄁するに宛字と誤󠄁字と假名縫󠄁合の熟語と、めちやめちやな外國語とを、便宜的󠄁な新かなづかひで綴り合はせたといふのがこの頃の國字の體裁で、これまさに文字學上のアナーキーではありますまいか」「いやしくも文化󠄁國家の國民たるものは、國語及󠄁びその國語が作つた古典への愛情󠄁を深く持つべきである」と訴へてゐる。

 久し振りに日本へ歸つて「言葉の甚しい變化󠄁」に驚いた村松は、具󠄁體的󠄁に外國語の氾濫、敬語の亂れ、誤󠄁記誤󠄁讀、鼻󠄁濁音󠄁の喪失、アクセントの誤󠄁り、左橫書き、アラビア數字と漢數字との奇妙な組合せ、副詞の假名書き、熟語の一部假名書き等の問題を取上げ、「なぜ審議會は漢字だけを制限して外來語を制限しないのか」「一國の文字が縱か橫かといふ大問題が、斯くも簡單に、斯くも無關心の裡に決定してしまふとは!」「話し言葉と書き言葉とは全󠄁然性格のちがふ二つの意󠄁思傳達󠄁の媒體であり、兩者が完全󠄁に一致することなどあり得ない。世界の文明󠄁國の言語と文學を見るがいい。その國の文學の水準が高ければ高いほど、書き言葉と話し言葉との格差は大きい」と述󠄁べてゐる。

 昭和五十五年三月󠄁に出版された朝󠄁日新聞學藝部編󠄁の『敎育對談』は「しつけ」「テレビと子ども」「禮儀作法」「ことばと生活」などをテーマに行はれた十五囘の對談を纏めたものだが、特に注󠄁目されるのは「今、私共が指導󠄁している自閉症兒で一番の問題は、全󠄁くことばをしゃべらない子、意󠄁味のあることばをしゃべれない子がかなりいるということです。……これまで來所󠄁した四十五人ほどの子どもの中で、十二人がことばの出ない子どもです。……象徵的󠄁なのは、テレビのコマーシャルばかりしゃべる子がいるということです。だから會話ができない。『ゴキブリ、ぞろぞろ』とか『カップウドン』とか、部屋の中をウロウロ動きながらコマーシャルだけが飛び出す。ひどい例では、ころんだとき、泣きながら『エーン、ゴキブリ、ぞろぞろ、エーン』という。……一般的󠄁には、ひどい重症の子ほど、家庭󠄁ではテレビをつけている時間が長い、という傾向があるんです。全󠄁く發語のない子どもの、家庭󠄁でのテレビをつけていた時間を調󠄁べてみたんです。十六例あるんですけど、十六時間とか十七時間というのが多い」といふ岩佐京子の發言である。大宅壯一はテレビ時代の到來に「一億總白癡化󠄁」を豫言したが、右の事例は、幼兒にとつて親とか兄弟とか、あるいは祖父󠄁母とか、血の通󠄁つた人間とのスキンシップ、取分け言葉の躾、言葉によるコミュニケーションがいかに大事かを示唆するものである。


次󠄁頁前󠄁頁目次󠄁全󠄁體目次󠄁ホームページ