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九-二十七 藤󠄁原正彥の『祖國とは國語』

 平󠄁成󠄁十五年四月󠄁、藤󠄁原正彥の『祖國とは國語』が出版された。藤󠄁原は「日本は今危機にある」「生徒の學力は着實に低下し續けている」「國民一般の道󠄁德も地に墜󠄁ちた」「この國家的󠄁危機の本質は誤󠄁った敎育にある」「敎育を根幹から改善する」必要󠄁があるが、「私には小學校の國語にかかっていると思えるのである」「情󠄁報を傳達󠄁するうえで、讀む、書く、話す、聞くが最重要󠄁なのは論を()たない。これが確立されずして、他敎科の學習󠄁はままならない」「それ以上に重大なのは、國語が思考そのものと深く關はっていることである」「言語と思考の關係は實は學問の世界でも同樣である。言語には緣遠󠄁いと思われる數學でも、思考はイメージと言語の間の振り子運󠄁動と言ってよい」「知的󠄁活動とは語彙の獲得に他ならない」「日本人にとって、語彙を身につけるには、何はともあれ漢字の形と使い方を覺えることである。日本語の語彙の半󠄁分以上は漢字だからである」と國語、そして漢字の重要󠄁性を强調󠄁してゐる。

 また國語は論理的󠄁思考を育て、情󠄁緖を培ふとし、「古典を讀ませ、日本人として必須のこの情󠄁緖を育むことは、敎育の一大目標と言ってよいほどのもの」で、その情󠄁緖を養󠄁ふ上で「小中學生の頃までの讀書」が何より大切であり、「祖國とは國語であるのは、國語の中に祖國を祖國たらしめる文化󠄁、傳統、情󠄁緖などの大部分が包󠄁含されているからである」「小學校における敎科間の重要󠄁度は、一に國語、二に國語、三、四がなくて五に算數、あとは十以下なのである」が國語の「讀む」「書く」「話す」「聞く」に敢て重みをつければ、「二十對五對一對一くらいだろう」と國語の時間數を「飛躍󠄁的󠄁に擴大」し、「質の改善」を計るやう訴へてゐる。數學者の言葉だけに說得力がある。

 更に藤󠄁原は「日本には至寶ともいえる文學遺󠄁產がある」「文學王國日本は寶物の山である」「敎科書も新聞も、ルビをどしどし入れることで本來の豐かな漢字文化󠄁を取り戾すべきだと思う」「小學生のうちから古典に觸れさせ、多少難解であってもどしどし朗誦暗󠄁誦させるのがよい」「私は二十年近󠄁く、國語の重要󠄁性ばかりを語ってきた。國語こそが日本人の主󠄁軸だからである」「國語を通󠄁して樣々な文學作品に親しみ、そこから正義感、勇氣、家族愛、鄕土愛、愛國心、他人の不幸に對する敏感さ、美への感動、卑怯を憎む心、もののあわれ、などの最重要󠄁の情󠄁緖が身につけられる。日本の文化󠄁、傳統を知りアイデンティティーを確立する際にも國語は中心となる。これら人間の中核となるものは、小中學生のうちに全󠄁力で基礎を固めておかないと手遲れになる」と、古典に親しむことの重要󠄁性を說いてゐる。


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