四-三十七 森鷗外と伊澤の意󠄁見
六月󠄁二十六日に開かれた第四囘委員會において、森林太郞(鷗外)は「何ノ國ノ假名遣󠄁デモ保守的󠄁ノ性質ト云フモノヲ有ツテ居ルノハ無論デアル」「假ニ今日發音󠄁的󠄁ニ新シク或ル假名ヲ定メラレタト考ヘマセウ、サウシタナラバ此ノ新シイ假名遣󠄁が又聞モナク歷史的󠄁ニナツテシマフノデアリマス」、歷史的󠄁假名遣󠄁は「昔ノ發音󠄁ニ基イタモノデハアルケレドモ、今ノ發音󠄁ト較べテ見テモ其懸隔が餘リ大キクハナイト思フ」と述󠄁べ、次󠄁いで假名遣󠄁の沿󠄂革を說明󠄁した後「口語ノ變遷󠄁ヲ見テ居テ、其ノ中固ツタ所󠄁ヲ拾ヒ上ゲテ」徐々に改めて行くのはよいが「私ハ正則ト云フコト正シイト云フコトヲ認󠄁メテ置キタイノデアリマス」として、街道󠄁の譬を以て、「人民一般ハ田トモ云ハズ畠トモ云ハズ、道󠄁ノナイ所󠄁ヲ縱橫ニ步イテ」をり、文部省で、實際新たに道󠄁を開くと新舊二本の道󠄁が出來るが「人民ハ又二條ノドレニモ由ラズニ縱橫ニ田畠ヲ荒󠄁シテ步クカモ知レナイト思フ、却テ問題ハ複雜ニナッテ來ル」と說き、許容といふことについては、例ヘば「得セシム」と人が書くと「ソレヲ直ニ採󠄁上ゲテ是レが言語ノ變遷󠄁デアルト云ツテ、是レが便利ナ新道󠄁デアルト云ツテ、御認󠄁メニナツテ御許容ニナル」が、それは「得シム」といふ言ひ方を知らずに「得セシム」と書くのであつて、「得セシム」の方が便利だからさう書くのではないとし、「是非小學校ノ初メカラ假名遣󠄁ハ正シイ假名遣󠄁ヲ敎ヘルガ好イ、敏科書ハ正則ノ假名遣󠄁デ書テヤリタイ」と述󠄁べてゐる。この鷗外の演說は「假名遣󠄁に關する意󠄁見」として岩波書店の鷗外全󠄁集に收められてをり、その語調󠄁こそ穩かであるが、逆󠄁上した改定論者の氣を鎭め、正氣に戾すのに十分な內容を有つてゐる。
次󠄁いで、伊澤修二は「私ハ誠󠄁心誠󠄁意󠄁ヲ以テ自分ノ愚見ヲ申述󠄁ベマシテ文部大臣ニ大イニ御反省ヲ乞ヒタイト思ヒマス」どして、先づ文部省の改定案は粗雜で前󠄁後徹底してゐない、例へば「此字音󠄁ノ表ノ中ニモ字音󠄁ニナイモノガ澤山這入ツテ居りマス」と、改定案そのものの不備を指摘し、「平󠄁時ニ於テ或學者ガコトコツ何カ言ツタトカ誠󠄁ニ根據ノナイヤウナコトヲ饒舌ツタトカ云フコトデナカナカ行ハレルモノヂヤナイ」と述󠄁べ、更に現在の混亂は文部省自らが招いたものであるとして、最後に「遺󠄁憾ナガラ私共ハ是ニハ贊成󠄁スルコトが出來ヌノデゴザイマスカラドウゾ大イニ御反省下サレンコトヲ偏󠄁ヘニ希望󠄂致シマス」と陳述󠄁してゐる。