五-十二 假名・ローマ字論爭
その頃新聞紙上を賑はしたのは、假名・ローマ字の優劣論てあり、假名文字論者とローマ字論者との間で激しい論爭が展開された。野上俊夫が十年の四、五月󠄁に東京日日や大阪每日に假名文字論を發表すると、土岐善麿󠄁、福永恭助、櫻根孝之進󠄁などがそれに反論を加へ、更に野上が十一年六月󠄁『太陽』に「假名とローマ字」を發表すると、再び福永が七月󠄁大阪每日に「再び假名とローマ字に就て」と題する反駁文を發表してゐる。
ローマ字にせよ假名文字にせよ大同小異であり、感情󠄁的󠄁な問題を除けば、兩者の比較論など全󠄁く意󠄁味がない。ローマ字なら反對だが假名文字なち贊成󠄁だとか、或いはその逆󠄁の場合にしても、一國の文字を變革することの是非から見れは、そこには九牛の一毛ほどの違󠄂ひもない。然るに、やれ字數が多いとか少ないとか、八十字だと學習󠄁の困難は倍になるとか、一分間に書く速󠄁さはどちらが速󠄁いとか、全󠄁く無意󠄁味とも思はれる比較論にうつつをぬかしてゐるのである。とどのつまりは、野上が
*不完全󠄁ながらも兎に角私の方には實驗の成󠄁績が二つ程󠄁持ち合はせがあるのに.君の方では幾らかでも私の實驗の結果と反對になりさうだと思はれる實驗的󠄁若しくは經驗的󠄁の何等の根據をも示されないではないか。君の方で示さない以上僕の方の勝󠄁ちだ。
と勝󠄁名乘を上ければ、福永が
*私の方にも野上氏のと反對の結果になる樣な實驗の二つや三つの持ち合はせはあるが、その樣な不完全󠄁な實驗の成󠄁績をいそいで發表する所󠄁の勇氣を殘念ながら私共は持つてをらない。不完全󠄁なものを輕々に發表して世を誤󠄁る事を恐󠄁れるからである。
と應酬するといふやうに、とんた泥仕合を演じてゐる。