本多利明の意見

江戸後期の經濟學者として、また算學者として知られる本多利明は、『經世祕策』(寛政九年、一七九七年)の中で、

天下各國文字アリテ、聖人ノ眞意ヲ戴タリ、我國ハ支那ノ文字ヲ習テ其理ヲ辨ゼリ、博學ノ名アレドモ其所知ハ支那一國ノ故事來歴ニ過ギズ、

として

且唐土ノ文字ハ字數多クシテ、國用ニ不便利ナレバ外國ニ通ジ難ク、漸ク朝鮮琉球日本ノ三ケ國ノミ通用セリ、亞細亞州ノ内三四ケ國通用スレドモ、其眞意ヲ解シ得ルコトヲ難シトセリ、歐羅巴ノ國字數二十五、異體共二八品アリテ、天地ノ事ヲ記ルニ足レリトセリ、是以簡省ナリ、唐土ノ國字數千萬ヲ記憶セントセバ、生涯ノ精神是ガ爲ニ竭トモ、イカデ得ベケンヤ、大ニ戻レリト云ベシ

と論じ、更にその翌年『西域物語』の中で、西洋の文字は二十五字であるのに對し、日本では字の數が多くなければ用をなさないと述べた後

支那の文字數萬あるを記憶せんとせば、生涯の精神これが爲に盡すとも、いかで得べけん、大に戻れりといふべし、たとヘ暗記する人出来たりとも、國家の爲に益を起す事もあるまじ、爰を知りて彼國には簡を取たるならん、文字は事を記し情を述るを旨とせば、數萬ある支那の字を記憶せんより、我日本の假名を用て事を記さば大に便利ならん、日本の大儒の名を得し人といへども、一國の事にもろくに通るはなし、然るに彼國にては博學とも云はれし人は、外國三十餘國の辭に通じ、國情物産に迄も明白なりといへり、是文字少して精力みなこれに用ゆるゆへなるべし、

支那の文字は東方には朝鮮、琉球・日本、北方は滿洲の諸國、西方は東天竺の内のみ、西域の文字は歐羅巴諸國、亞墨利加諸國、亞弗利加諸國、東天竺南洋の諸島より、支那南洋の諸島、日本南洋の諸島、東蝦夷諸島、カムサスカ邊、ノールドアメリカの大國に到るまで、皆此二十五字を用て事を記せり、各國各島言語各異といへども、二十五字を用てしるされざる物なし、日本のいろは假名の如し、

このやうな知識そのものが西洋の文字を通して得たものであつてみれば、西洋文字に少からず憧憬の念を抱くのも當然なことと言へよう。このやうな思考から、假名文字國字論を唱へるか、ローマ字國字論を唱へるか、或いは、その場に踏み止つて、國字改良の不可なるを論ずるか、その文面からだけでは判斷することは出来ないが、その見解が今日の假名ローマ字論者とほぼ同しであることは注目に値しよう。


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