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二-十三 西周󠄀のローマ字論と西村茂樹の反論

 明󠄁治七年三月󠄁、西周󠄀は『明󠄁六雜誌』に「洋字ヲ以テ國語ヲ書スルノ論」を發表、同じ誌上で、西村茂樹は「開化󠄁ノ度ニ因テ改文字ヲ發スベキノ論」と題して、西周󠄀の說に反論した。

 この『明󠄁六雜誌』は、福澤諭󠄀吉、加藤󠄁弘之、中村敬宇、西周󠄀、西村茂樹、森有禮などによつて創設された明󠄁六社から發刊されたもので、舊思想を批判󠄁すると共に、西洋文明󠄁の紹介とその普及󠄁󠄁に熱意󠄁を示した。

 西周󠄀は、文明󠄁開化󠄁に必要󠄁なことは文字を平󠄁易にすることであるとして、漢字節減論や假名文字論を批判󠄁した後、「夫レ方今ノ勢歐洲ノ習󠄁俗我ニ入ル頗其多キニ居ル」「其勢既ニ駸々其七ヲ取テ其三ヲ遺󠄁ス能ハサレハ僕謂フ文字ヲ倂セテ之ヲ取ルニ若カス」「何ソ獨り文字ヲ取ラサルノ說アランヤ」と述󠄁べてゐるが、シルクハットやチョッキの類と文字とを一律に論ずるのは、いかに歐化󠄁の風潮󠄀の激しい時期󠄁であつたとはいへ、文字に關する認󠄁識が缺如してゐると斷ぜざるを得ない。

*今洋字ヲ以テ和語ヲ書ス其利害󠄂得失果シテ如何 曰ク此法行ハルレハ本邦ノ語學立ツ 其利一ナリ 童蒙ノ初學先國語ニ通󠄁シ既ニ一般事物ノ名ト理トニ通󠄁シ次󠄁ニ各國ノ語ニ入ルヲ得 且同シ洋字ナレハ彼ヲ見ル既ニ怪ムニ足ラス 語種ノ別語音󠄁ノ變等既ニ國語ニ於テ之ニ通󠄁スレハ他語ハ唯記性ヲ勞スル耳 是入學ノ難易固ヨリ判󠄁然タリ 其利二ナリ 言フ所󠄁書ク所󠄁ト其法ヲ同ウス 以テ書クヘシ以テ言フヘシ卽チレキチュァトーストヨリ會議ノスピーチ法師ノ說法皆書シテ誦スヘク讀ンテ書スヘシ 其利三ナリ アベセニ十六字ヲ知リ苟モ綴宇ノ法ト呼法トヲ學ヘハ兒女モ亦男子ノ書ヲ讀ミ鄙夫モ君子ノ書ヲ讀ミ且自ラ其意󠄁見ヲ書クヘシ  其利四ナリ 方今洋算法行ハレ人往󠄁々之ヲ能クス  之ト共二橫行ス 其便知ルヘシ 而テ大藏陸軍等既ニブウクキーピンクノ法ヲ施行ス 之ト共ニ橫行字ヲ用ユ 直二彼ノ法ヲ取ルノミ 其利五ナリ 近󠄁日ヘボンノ字書又佛人ロニノ日本語會アリ 然トモ直チニ今ノ俗用ヲ記シ未タ其肯綮󠄁ヲ得ス 今此法一タヒ立タハ此等亦一致スヘシ 其利六ナリ 此法果シテ立タハ著述󠄁飜譯甚便リヲ得ン 其利七ナリ 此法果シテ立タハ印刷ノ便悉ク彼ノ法二依リ其輕便言フ計ナカルヘシ 彼國ニテ此術󠄁ニ就テ發明󠄁スル所󠄁アレハ其儘ニテ之ヲ用フヘシ 其便八ナリ 飜譯中學術󠄁上ノ語ノ如キハ今ノ字音󠄁ヲ用フカ如ク譯セスシテ用フヘシ 又器械名物等ニ至テハ强テ譯字ヲ下サス原字ニテ用フヘシ 是其利九ナリ 此法果シテ立タハ凡ソ歐州ノ萬事悉ク我ノ有トナル 自國行フ所󠄁ノ文字ヲ廢シ他國ノ長ヲ取ル 是瑣々服󠄁飾󠄁ヲ變ルノ比二アラサレハ我力國人民ノ性質善二從フ流ルヽ力如キノ美ヲ以テ世界二誇リ頗彼ノ膽ヲ寒󠄁ヤスニ足ラン 是其利十ナリ

 西周󠄀は右のやうなローマ字の利點十項と、「筆墨肆其業ヲ失フ」「紙ノ制改メサルヘカラス」「唯漢學者流國學者流此說ヲ傳聞セハ頗ル之ヲ厭ヒ嫉ム者アラン」といふやうな害󠄂三項を擧げてゐるが、三害󠄂の內容はいづれもローマ字の本質的󠄁な缺點ではなく、常人であれば害󠄂とすることを躊躇せざるを得ないやうな皮相的󠄁なものである。このやうに、改革論者の多くは、漢字の缺點や音󠄁韻文字の利點にはかなりの見識を有しながら、漢字の利點や音󠄁韻文字の缺點には全󠄁く疎いのである。

 この西周󠄀のローマ字論に對し、西村茂樹は「西先生ノ說ニ曰ク文字ヲ改メテ民ノ愚見ヲ破ルト僕謂ヘラク民ノ愚見破レザレパ文字ヲ改ムルコト能ハズト」「其ノ害󠄂ヲ言フニ至テハ未ダ盡サザル處アリニ似タレバ僕謂フ之ヲ補ハン」と、次󠄁の三頃を擧げてゐる。

*凡ソ簡易明󠄁白ヲ喜ピ繁冗混雜ヲ厭フハ人ノ情󠄁ナリ 今山川ト書クトキハ字畫簡易ニシテ字義明󠄁白ナリ yama, kafa ト書クトキハ字畫差繁冗ニシテ字面差明󠄁了ナラズ 且ッ川 革 側ト書クトキハ字面ヲ一見シテ自ラ其義ヲ知ル可シ kafa, kafa, kafa ト書クトキハ三語各別ノ義ヲ區別スルコト頗ル難シ 是其不利ノ一ナリ

*本朝󠄁支那󠄁ノ言語文字ヲ經緯シテ之ヲ用フルコト千有餘年文字ノ用法其便利ヲ極メタリ(方今開化󠄁ノ度ニテハ)然ルニ漢字假名字ヲ倂セテ之ヲ棄テ一ニ洋字ヲ用ヒシメントスルハ其難キコト昔日國字ヲ廢セシ 同日ノ論ニ非ズ 是其不利ノニナリ

*若シ斷然トシテ和漢ノ文字ヲ廢シ洋字ノミ用フルトキハ今日ヨリ以前󠄁ノ載籍ハ全󠄁ク讀ムコトヲ得ズシテ(淺學ノ人ノミヲ云フ)二千年間ノ和漢ノ事迹ハ曖昧ナルコト暗󠄁夜ノ如クナルベシ 然シナガラ其內ニハ學者輩出シテ洋字ヲ以テ和漢ノ史博等ヲ記スル者アルベキナレドモ要󠄁スルニ二重ノ勞タルコトヲ免カレズ 是其不利ノ三ナリ

 更に「方今ノ急󠄁務ハ國學漢學洋學ノ差別ナク唯國民ヲシテ一人モ多ク學問ニ志サシムル」ことであるとし、さうすれば勞せずして和漢の文字を廢して洋字を用ゐることになるであらうと述󠄁べてゐる。


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