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六-四十一 服󠄁部嘉香と佐伯功介

 昭和十六年九月󠄁に刊行された服󠄁部嘉香の『國語・國字・文章』は、その序にある通󠄁り「第一は專ら國語問題、第二は國語國字問題に關する根本希望󠄂と史實、第三は專ら文章問題、第四は專ら國字問題」を扱󠄁つたもので、その「多くはその時々の依賴に應じて執筆したもの」である。またその序に「漢字、漢語の尊󠄁重、正用を徹底的󠄁に敎へることこそは、却つて漢字の誤󠄁用及󠄁び弄用の幣󠄁を絕ち、國語意󠄁識向上の原動力となり、國語整理の捷徑となるのではあるまいか」と、その師に當る坪󠄁內逍遙と相通󠄁ずる興味深い意󠄁見を述󠄁べてゐる。

 次󠄁いで服󠄁部は「漢字問題」において、漢字の便益として「一目性、確實性、解釋性、深刻性、表現性、聯想性、短縮性、崇敬性、上品性、永存性」の十ケ條を擧げ、漢字の不便のとして同樣に十ケ條擧げてはゐるが、それらは「非難者の故意󠄁のごまかし」、敎育方法の改善によつて克服󠄁できるもの、「漢字の罪に歸すること」の出來ぬものであり、避󠄁けて避󠄁けられないものではないとしてゐる。また「國語政策の確立を望󠄂む」において、「何よりも先づ漢字といふ名稱に含まれる借用意󠄁識を棄てて、これを我が國字中の立派な本字と考へ直すこと」「この本字の字形を殆どすべて正字主󠄁義によつて整理すること」「本字の數を制限せず、國民の好むところに從はしめること」といふ三點を主󠄁張してゐる。

 同十六年十月󠄁に刊行された佐伯功介の『國字問題の理論』は、既に新聞雜誌に發表された三十數篇の諸論文を一册にまとめてものである。本書は理論的󠄁な考察を中心としたものであるが、その理論の基礎となるべき言語觀や文化󠄁觀は全󠄁く陳腐なもので、明󠄁治初期󠄁のローマ字論者の位置から一步も前󠄁進󠄁してゐない。佐伯は保科孝一の言をそのまま信じてしまつたために

*我國の尋󠄁常五六年又は中學一二年位の生徒に綴方を書かせる。遠󠄁足の記事位なら書けるであらうが、例へば「近󠄁松門左衞門の藝術󠄁を論ず」だとか、「日露戰爭前󠄁後の我國外交政策について」だとか、又は「廣田內閣の稅制改革について」といふやうな歐米の小學校ではごく普通󠄁のカテゴリに屬する題を出したら一體何か書き得るものが何人居るだらうか。歐米の兒童に此の種類の課題を與へた場合の甲論乙駁といふ樣な賑かな光景が見られるであらうか、此の年頃の歐米の兒童と較べて思想常識の貧弱󠄁なことは格段の差があることを認󠄁めざるを得まい。

などと、眞面目な顏をして言へるわけである。そしてその罪をすべて漢字に負はせようといふのであるが、もし右の言述󠄁が事實だとしたら、歐米の大人は一體何をしてゐるのであらうか。政治も、外交も、藝術󠄁も、小學生程󠄁度のものだといふのであらうか。さうとすれば、政治も外交も藝術󠄁も、すべて小學生の手に委ねて、大人は小學生の子守でもやりながら、安閑として餘生を樂しむことが出來るといふことになる。何とも羨ましい話である。それにしても、歐米人は小學校を卒業すると、思考力、創造󠄁力共にその發育が停止してしまふらしいのは、何としたことであらうか。その理由は、彼等が漢字のやうな優れた文字を持つてゐないからである、といふことにならうか。とすると、漢字を廢止するなどといふのは、全󠄁く戲けたことだと言はねばならぬ。

 また十六年十一月󠄁に刊行された大西雅󠄂雄の『日本基本漢字』は、延󠄁八十萬の漢字調󠄁査に基づき、漢字三千字の使用頻度順位を示したもので、その成󠄁果は高く評󠄁價さるべきものである。


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