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七-四 漢字は負擔にならぬ

 昭和二十一年四月󠄁十八、十九日の大阪每日新聞に、泉井久之助、伊吹武彥、末川博、矢田部達󠄁吉、湯川秀樹、吉川幸次󠄁郞の座談會「國字問題の檢討」が揭載された。出席者の殆どが、矢田部の「漢字にいつまでも執着してゐる限り日本の言葉そのものが新しい聽覺を主󠄁にした言葉の時代に應じて行けない、ここに大きくいつて國字の危機があり漢字を廢する原因があらうと思ふ」といふ發言を支持し、ローマ字を採󠄁用して外國の語彙をそのまま採󠄁り入れることを主󠄁張する反面、「子供のものを記憶するやうな能力は驚くべき力をもってゐて、漢字を覺えるのはそれほど負擔になつてゐないのが實情󠄁だ」「とかく日本の兒童だけおくれてゐるやうに考へられがちだが、心理の方で〝定義テスト〟をやつてみても、內容的󠄁には日本兒童必ずしも劣つてゐないといふ結論に達󠄁する、これから判󠄁斷して形式的󠄁には損をしてゐるやうに見えるが內容的󠄁にはさうとはいへない」といふ發言を支持し、漢字が「漢字が學習󠄁の恐󠄁るべき障害󠄂に」なり、「生徒に過󠄁重の負擔をかけてゐる」といふアメリカ使節團の見解を否定する結果になつてゐる。

 同二十一年九月󠄁、土居光知は『改造󠄁』に「日本語の將來」を發表した。土居はアメリカ敎育使節團の報吿書の一部を紹介し「右の案よりも更によい案が公にせられない限り」、また互に「いひ張つて少しも讓るところが」ない限り、右の案が實行されることと思ふ、「私はローマ字書きの運󠄁動と竝んで、基礎語を選󠄁び育ててゆく運󠄁動が行はれたならば、日本人の敎育のためにアメリカ敎育視察團の人々が望󠄂んだこと――それはまた私どもの切なる願ひであるが――は實際に行ふことができると信じる」と述󠄁べてゐる。


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