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七-十八 『國語問題五十年』

 昭和二十四年九月󠄁、保科孝一の『國語問題五十年』が刊行された。本書は、一生を無謀な國語國字の改革のために空費した筆者が「明󠄁治三十年代から今日まで五十年間、國語問題のたどってきた經過󠄁や、その間における種々のそう話などは、わたくしのほかには、あまり知っておる人がなかろうと思いますので、その思い出を書きつづり、後世にのこそうかとひそかに考え」て執筆したもので、「もとより五十年の正史という嚴正なものでなく、ただ自分の關與した範圍における思い出を隨筆的󠄁にそこはかとなく書きつづったもの」である。その中で、保科は「わたくしもはじめは漢字の全󠄁廢を唱えたが、だんだん硏究するにつれて」「いまのとろころ、漢字節減で進󠄁むべきであると考えるようになった」と述󠄁べ、戰後の國語政策を支持してゐるわけであるが、本書の內容よりも「はしがき」の「文部省國語課の諸君が表記を整理してくだされ、その上に出版から校正まで一方ならぬご援󠄁助を與えられましたので、どうやら一書の體裁をととのえることができました」といふ一節の方が、保科と國語課との因緣を如實に物語つてゐて興味深い。

 また二十四年十一月󠄁、白石光邦は『國語と國文學』に「漢字の整理・制限竝に改造󠄁について」を發表した。白石は約󠄁五千の漢字についての硏究をもとに、漢字を習󠄁得し易いやうに、漢字をいくつかの音󠄁符と意󠄁字とに分解し、それを利用して漢字相互の連繫を密にし、漢字の整理統一を行はうといふのである。一例を示せば「肖󠄁」の音󠄁符は「肖󠄁哨宵󠄁峭悄消󠄁梢󠄁逍硝󠄁稍蛸鮹銷霄鞘趙屑削󠄁」など、使用例は多いが「趙(テウ)屑(セツ)削󠄁(サク)の三字さへ犧牲にすれば」、他はすべて「セウ」であるから、音󠄁符「肖󠄁」の發音󠄁を一音󠄁化󠄁できるといふわけである。かうした構󠄁想そのものは決して無益なものではないし、漢字敎育及󠄁び漢字の字體整理の際には最も考慮せねばならぬ事項である。「當用漢字字體表」の如く、逆󠄁に音󠄁符を破壞し、漢字相互の連繫を斷つやうな整理は有害󠄂である。


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