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七-三十二 『國語と國字』

 三十一年四月󠄁、金田一京助・土岐善麿󠄁・西尾實監修の「講󠄁座 日本語」(全󠄁七卷)の第六卷『國語と國字』が刊行された。その中の二、三を紹介すると、大島義夫は「占領軍のすすめによって」戰後いくつかの改革が實施されたが、それは「保守的󠄁な支配階級󠄁がやむをえず上からあたえたあたらしい條件にすぎませんでした」と述󠄁べ、白石大二は「湯桶讀み、重箱讀みにとらわれることなく、語の意󠄁識のはっきりしたものどうしは、漢語とやまとことばを結びつけるようなこともどしどしやっていく」べきで、「子供は、寢臺(ねだい)・降參ずもう・殘り勉强など、自由な造󠄁語をしています。これをおとなもやっていくのです。そこに、國語の將來が開けてきます」と述󠄁べてゐるが、白石には言葉に對する美的󠄁意󠄁識といふものがないらしい。また小林英夫は、朗讀して卽座に解らない文章は「新時代の文章の資󠄁格をもたない」として、芥川龍󠄁之介の作品につき「あたらゴブラン織のようにケンランな大正期󠄁の文豪の文章も、化󠄁纖の布地でけっこう間に合う世の中の讀書子にとっては、骨董品(こっとうひん)と化󠄁しつつあるというのが實狀でしょう」と、閑人の寢言にしても度が過󠄁ぎることを平󠄁然と放言するのは「盲󠄁蛇に怖じず」の類であらうか。「骨董品と化󠄁しつつある」のではなく、戰後の國語改革によつて「骨董品にされつつある」と見るべきである。

 また附錄の「國語生活の方向――國語國字問題アンケート――」によると、第一囘配本に插入されたアンケートの囘答者は二千四百五十五人で、その七十%が二十代・三十代の專門學校以上の學歷を持つ男の敎員・學生であり、「日本語を書きあらわすには次󠄁のどれがよいでしょうか」といふ問に對し、漢字假名交り文七八%、ローマ字文九%、平󠄁假名文七%、片假名文一・五%、その他三%、囘答なし一・五%といふ結果が得られてゐる。ここで注󠄁意󠄁を要󠄁するのは、その八割󠄀までが漢字假名交り文の支持者であるといふことよりも、ローマ字文の支持者の大部分が三十代・四十代の敎員で、小中學校で實際にローマ字敎育を受󠄁けてきた十代・二十代の學生に支持者が少ないといふ事實である。これは、ローマ字敎育を徹底することは、ローマ字の缺陷を宣傳するやうなもので、皮肉にも、戰後の國語政策がローマ字化󠄁を目標にしながら、逆󠄁に一步後退󠄁したことを意󠄁味する。


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