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七-四十七-九 『今後の問題(その九)』

一 假名遣󠄁について

「現代かなづかい」は表音󠄁主󠄁義を原則とするものであるが、次󠄁のやうな矛盾がある。

〇てきかん(敵艦)〔ただし「敵機」はてつき〕〕
 てつかん(鐵管)
〇ねえさん(姉)
 めいさん(名產)
〇こおり(こおり) おおさか(大阪)
 こうり(行李) おうさかやま(逢󠄁坂山)
〇はなぢ(鼻󠄁血) はぢや(葉茶) ちぢ(千々)
 すなじ(砂地) はじゃ(破邪) ちじ(知事)
〇たづな(手綱) かたづく すしづめ(壽司詰) たけづつ(竹筒)
 きずな(生綱) ぬかずく さしずめ(差詰) ひとつずつ(一箇宛)
〇各助詞「は・へ・を」の存續

 右の矛盾は、表音󠄁主󠄁義は發音󠄁に從ふべきであるのに、ある語では發音󠄁に從ひ、ある語では語義・語法に從つてゐること、及󠄁び同じく發音󠄁に從ふといつても、その度合が粗密まちまちであることから生ずる。しかし、右の矛盾を解決するため語義・語法を無視して表音󠄁主󠄁義の原則に徹しようとすれば、當然、國語は破壞され、また漢語のみならず和語にも異義 同讀の語が頻出し、文字言語として一層讀みにくいものとなる。第二に、表音󠄁主󠄁義の原則に徹するといふこと自體が、既に不可能なのである。なぜなら、一々の音󠄁の判󠄁定が困難であるばかりでなく、判󠄁定の基準そのものの確立が不可能だからである。殊に、發音󠄁の個人差、地方差、時代差を考へるとき、語義・語法を無視した表音󠄁主󠄁義によつては國語表記における縱・橫の一貫性が保ちえない。また學校敎育においても、高校では歷史的󠄁假名遣󠄁を敎へてをり、その「高校前󠄁入」が求められてゐる今日、「現代かなづかい」の强要󠄁は國民に二重の負擔を强ひることになる。

 表記はあくまで耳にではなく目に訴へるものであり、音󠄁にでなく意󠄁味、卽ち語義・語法に從ふことを原則とすべきである。歷史的󠄁假名遣󠄁はその原則に基づき、時と所󠄁を超えた一慣性を保ちながら、同時に音󠄁便その他の採󠄁り入れによつて、現代語も方言も自由に表記しうる。勿論部分的󠄁改訂は可能であらう。と言ふより、「言ひて」「積みて」「高く」がそれぞれ「言つて」「積んで」「高う」のごとく音󠄁便表記を行つてきたこと自體が既に部分的󠄁改訂を認󠄁めてゐる何よりの證據である。隨つて、歷史的󠄁假名遣󠄁の主󠄁張は必ずしも現在のそれの完全󠄁な復活を意󠄁味しない。例へば、これは時枝誠󠄁記氏の試案であるが、「うぐひす」におけるごとき語中語尾の「は」行文字は、語義語法に無關係であるが故に「うぐいす」と改め、「かたは(片端)」「かけひ(懸桶)「うすらひ(薄氷)」のごとく語義を示すものや、「想ふ」「笑ふ」のごとく語法に關するものは、そのまま「は行」文字を保存することも考慮しうる。音󠄁便ばかりでない。例えば戰前󠄁の歷史的󠄁假名遣󠄁においても、「用ゐる」は「用ひる」と敎へてゐた。少くとも大正期󠄁にはさうなつてゐた。がその語義が「もち(持)・ゐる(率󠄁)」であることが定說となつて後は「用ゐる」と訂正した敎科書が多くなつた。また「あるいは」はすべて「あるひは」であつたが、今日では「家なる妹い」の「い」と同じく「ある」に主󠄁客格を示す「い」を附したものと見做されるに至つたので、これを「あるいは」と書くやうに訂正すべきであらう。歷史的󠄁假名遣󠄁とは理想的󠄁であり觀念であつて、改革前󠄁に行はれてゐた現實のそれを固定的󠄁に考へるべきではない。

 隨つて、今後の問題としては、一應の暫定措置として、「現代かなづかい」を廢止歷史的󠄁假名遣󠄁に復した後、その部分的󠄁改訂を試みるのが至當である。そのためには數年の期󠄁限を定めて成󠄁案を作成󠄁し、それを國民に公示し、その意󠄁見を 酌󠄁してから實行に移せば問題はない。勿論、一般には「現代かなづかい」使用のまま、同じ手續を採󠄁る事も可能であらう。現實的󠄁にはむしろその方が容易である。が、その場合には、次󠄁のことを忘󠄁れてはならない。第一に、「現代かなづかい」の有效期󠄁間を五年なら五年と明󠄁示すること、第二に、目的󠄁は「現代かなづかい」の訂正ではなく、歷史的󠄁假名遣󠄁の原理の復活であり、故に前󠄁者ではなく後者を原案とし出發點として考へることである。第二については問題がない。しかし、第一の條件には難點がある。なぜなら、敎育の場において、五年先は廢案されると解つてゐるものを敎へ習󠄁ふことが出來るかどうか。その點、多少の犧牲を忍󠄁んでも、取敢へず歷史的󠄁假名遣󠄁に戾つた方がよくないか。なるほど、それも改訂されるであらうが、原理的󠄁には不動であり、改訂後においても過󠄁去に習󠄁得したものが、誤󠄁りとは言へず、「用ひる」「あるひは」のごとく繼續使用しうるであらう。

 「現代かなづかい」が十數年の既成󠄁事實であることを言ふ人がゐるが、歷史的󠄁假名遣󠄁は明󠄁治以來その廢案に至るまで十數年の既成󠄁事實があり、たとひ嚴密に守られ敎育されてゐなかつたとしても過󠄁去千年の歷史をもつものであつた。より合理的󠄁、より價値あるものであつても長年の既成󠄁事實がみとめられなかつたのに、矛盾と混亂に滿ちたものに戰後の混迷󠄁期󠄁十數年を楯に既成󠄁事實を言ふのは何としても理屈に合はない。


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