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九-十六 『廣辭苑の噓』と『理想の國語敎科書』

 同十三年十月󠄁、谷澤永一、渡部昇一の『廣辭苑の噓』が出版された。谷澤は「序にかえて」で「『廣辭苑』は間違󠄂いだらけである。記されている語釋は要󠄁點から逸れている。うっかり信用したら恥をかく」「新村出は一字たりとも一行たりとも執筆していない」「『廣辭苑』は第三版(昭和五十八年)によって」「劇的󠄁に變化󠄁し、左翼理論の活潑な演習󠄁場に化󠄁した」「固定觀念にへたりこんで資󠄁料を調󠄁べもせず、讀者を輕蔑して反りかえっているのを、私どもは以下に煌々と暴露するつもりである」と述󠄁べてゐる。また渡部は「結びにかえて」で「とくに注󠄁目すべきことは、版が新しいものほど噓が多くなっていることだった。普通󠄁は辭書は版を重ねるほどよくなるはずだが、『廣辭苑』はその反對なのである」と書いてゐる。

 翌󠄁平󠄁成󠄁十四年四月󠄁、齋藤󠄁孝の『理想の國語敎科書』が出版された。齋藤󠄁はその「はしがき」で「この本は、最高レベルの日本語の散文に數多く出會う機會を提供するために編󠄁みました」「現行の國語敎科書が持つ制約󠄁から一度離れて、いわば更地の狀態で、理想の日本語の建物を建ててみました」「テキストには私がこれまでの人生で出會い『感動』を受󠄁けたものだけを選󠄁びました」と說明󠄁し、「おわりに」に「私は敎育改革のカギは國語敎科書にあると考えている。日本語力は、すべての敎科の基礎である」「本物ほど强い滲透󠄁力を持っている。スポーツにせよ、食べ物にせよ、繪畫や音󠄁樂にせよ、超一流の本物は、さほど銳い感性を持たない者の心にも屆く」「言葉の力を敎えるのが、國語の最重要󠄁課題である」と書いてゐる。現行のお粥のやうな敎科書と比べ、齋藤󠄁の敎科書は遙かに優れてゐる。このやうな敎科書が普及󠄁すれば、兒童の國語力は各段に增すに違󠄂ひない。


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