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九-二十五 『ことば談義 寐ても寤ても』

 同平󠄁成󠄁十五年一月󠄁に出版された山田俊雄と柳瀨尙紀の『ことば談義 ()ても(さめ)ても』は言葉の世界を涉獵する二人の對談集である。國語問題に關係する發言を左に紹介する。

山田 基本的󠄁には、漢字で書くのはみんな宛字なんです。そのうち出所󠄁の明󠄁らかなものやもっともらしいものを、普通󠄁、漢和辭典で出しているわけです。

柳瀨 ある作家が「知的󠄁でエスタブリッシュメントな讀者」と書いていました。(笑)これにはほんとに腹がたって、一本エッセイを書きましたが、これはひどすぎますね。

柳瀨 現代作家というと、アメリカでも日本でも、すごく薄っぺらなような感じがするんです。やっぱり、ことばは古いものを大切にしていかないとまずい。

山田 いわゆる言語改革なんてうっかりやると、ろくでもない結果が出てくる。國語辭典や漢和辭典を作っていて感じるのは、明󠄁治時代のものがあまりにも違󠄂いすぎて、つながらないことです。

山田 考えてみると、自分の身邊に本を置いていない若い世代の人って、勉强のしようがないですね。圖書館に行けばいいなんていっても、本はそういうものでもないんだ。やっぱり自分の身の囘りに置いてあって、本の中に埋もれてなくては、好きなときに好きなものが自分の榮養󠄁にならないですね。

山田 僕が氣になるのはコマーシャルの文句ですね。あのコピーの作り方は、文章でもない、單語がうまく竝んでるっていう感じで、それで終󠄁っちゃうんだね、いつも。誰が作ってるんだろうと思う、誰がそういうものにライセンスを出してるのか。

山田 日本の古い表記の傳統やら、假名遣󠄁いやら、漢字の使い方やら、本當に滅びたんだなという實感を强くもちました。つまり、敎育されてないわけです。それから、自ら開發しようと思っても、當用漢字、現代假名遣󠄁いのものが自分の身邊にあって、それ以外のものは遠󠄁い所󠄁にあるというような人たちがものを書き始めたわけでしょ。古いものを讀もうとしても、古いものが新しい皮を被ってるわけです。文庫なんか。だから、斷絕してるんです。ほんとにアメリカに負けた、その屬國になって、日本語は滅びつつあるんだなという思いを、實に强く感じました。


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