三-十三 郵便報知の漢字制限
明󠄁治十九年九月󠄁、矢野文雄は郵便報知に「紙面改良意󠄁見書」を發表し、「紙面に用ゆる文字の數を減少し往󠄁く往󠄁くは新聞字引をも作り右の字引を用ゆるものは我新紙を讀み得ざるものなきにも至らしめ度存候」と述󠄁べ、更に翌󠄁二十年九月󠄁十六日の同紙社說において
*第一 漢字の數を三千字に限り此の制限內に於て論說、雜報、一切の事をきさいすへし、但し小說は文學書の部類に屬するが故に必らすしも右の制限に隨ひ難き場合あり、又た布吿布達󠄁其他社名人名等に至ては餘儀なく制限外の字を用ることあるへし
と宣言し、翌󠄁月󠄁一日から實行することを約󠄁し、同二十年十一月󠄁、附錄として『三千字字引』を發行した。