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三-十二 物集高見の言文一致論と小島一騰󠄁の日本新字

 明󠄁治十九年三月󠄁、物集高見は『言文一致』を刊行し、談話の通󠄁りに文章を書くべきであると主󠄁張した。物集は、「文章は、はなしを、書いたものと、いふことは、誰でも、よく、知りてをることで、其ちがひめといふ所󠄁は、口から出すのと、筆から出すのとの、ちがひである」、然るに「日本の人のは、筆から出すのと、口から出すのとは、別々に、なりてをれば、幾たび、讀みあげても、口の、はなしとは聞えず」「言はうなら、今の日本人は、口は、生きた自身の口でも、手は、死んだ古人の、手だといひたとて、理窟においては、道󠄁理である」と批判󠄁し、「はなす樣に、書きとりて、なるたけ、わかり易く、するがよからう」と述󠄁べてゐる。

 また同十九年五月󠄁、小島一騰󠄁は『日本新字全󠄁』を刊行し、ローマ字を變形して、日本語のみならず世界各國語の音󠄁を表記できるやうな日本新字を考案提唱した。小島は、假名はすべての音󠄁を十分に表記することは出來ないし、「羅馬字は母子二音󠄁を合せて一音󠄁を出すもの多くあれば一言一語におほくの字を綴りていと長く延󠄁たればはなはだ讀みがたく記へがたし」と批判󠄁し

*日本新字はその數わづか廿四字なれどもこれらに四種の點を施す時は正音󠄁二百四と變音󠄁六百九を出し合して八百十三音󠄁あれば內外人の言葉はもとより凡そ天地の間のいかなる奇音󠄁妙聲たりとも明󠄁かにあらはし判󠄁然としるし得ざるはあらじ

と新字について說明󠄁してゐる。その新字の一例を示せば、「マ(M)、ミ(M)、ム(M)、メ(M)、モ(M)、ミユ(M)、マイ(M)、ミヨ(M)、ミヤ(M)」(註 それぞれのMの、上下左右內などに點を打つただけのものなので、ここでは字を作らない)のやうなもので、それに相當する筆寫體もある。しかし、八百十三音󠄁も表せる文字を作つてみたところで、現實の音󠄁聲がそのどれに適󠄁應するのか判󠄁斷することは容易ではあるまい。嚴密に音󠄁聲を書分けることは不可能であるばかりでなく、不必要󠄁でもある。またどこまでも正確に音󠄁聲を表記しようとすれば、八百字あつても不足するであらう。


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