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三-十一 矢野文雄の漢字節減論

 明󠄁治十九年、三月󠄁、矢野文雄は假名及󠄁󠄁びローマ字論に反對して、漢字節減論を唱へ『日本文體文字新論』を著はした。この矢野の論文は、六章より成󠄁る堂々たる漢字擁護論であつて、普通󠄁一般に考へられてゐる漢字制限論や漢字節減論とは全󠄁くその趣を異にしてゐる。矢野は、第三章「日本ニ用フ可キ文字及󠄁󠄁ビ文體ノ事」において、便利だとされてゐる假名文を、人々は「不便ノ如ク思ヒ成󠄁ルヘク之ヲ避󠄁ケント勉ムル」のは、「理窟ラシク見ユル論ニ尙ホ理窟ノ足ラザル所󠄁アリテ理窟ナキガ如ク見ユル實際ノ方ニ大ナル理窟アルガ故ナリ」と、當時假名だローマ字だと日夜浮󠄁かれてゐた者の多い中にあつて、矢野はよく冷靜に現實を見つめ、國字改良論者の誤󠄁謬を看破してゐる。

 次󠄁いで、矢野は、兩文體(ルビつき漢字假名交り文)は漢字により意󠄁味を知り、假名により讀みを知り、漢字と假名との兩便を有してゐるので最も兩文體が優れてゐると論じた後、あらゆる角度から假名と漢字を比較檢討し、漢字假名交り文の優れてゐることを指摘し、更に一步を進󠄁めて、漢字の最大の缺點と考へられてゐる字數の多いことを取上げ、それを解決するために、先づ文書の種類を文學書と普通󠄁書とに二分し

*普通󠄁書ノ方ハ凡テ常用ノ文字ノミヲ用ヒ何人ニモ之ヲ讀ミ易カラシメ廣ク世間ニ通󠄁用スルヲ以テ主󠄁トス可シ 又文學書ノ方ハ敎育ヲ充分ニ受󠄁ケタル世界ニ向テ之ヲ讀マシムルヲ主󠄁トシテ漢文ニテモ如何ナル文字ニテモ如何ナル文體ニテモ之ヲ作ルコト勝󠄁手タラシムヘシ

と主󠄁張してゐるのであるが、普通󠄁書とは「一 政府ノ布吿及󠄁󠄁ヒ布令、布達󠄁、訓狀ノ類」「二 公私學校ニ用フル敎育書ノ類」「三 廣ク人ニ讀マシムルヲ主󠄁トスル新聞誌ノ類(但シ專門ノ雜誌類ヲ除ク)」「四 日用ノ手紙類(是ノ事ニ就テハ別ノ論アレドモ先ツ一般ノ部類上ヨリ此處ニ入レタリ)」のことであり、文學書とは「一 稗史小說ノ如キ遊󠄁嬉書ノ部類」「二 高尙ノ專門課ノ論文及󠄁󠄁ヒ專門書ノ類」「三 普通󠄁書以外ナル一切ノ史類傳記」のことである。以上のことからも、矢野が單なる漢字制限論者でないことは解るが、更に矢野が、普通󠄁書のみに適󠄁用しようとする漢字節減について「是ノ事ヲ政府ヨリ大ニ全󠄁國ニ布吿スル迄ニモ及󠄁󠄁バサル可シ 唯政府自ラ率󠄁先シテ是ヲ實行スルヲ必要󠄁トスルノミ」と述󠄁べてゐることからも理解できよう。同じやうに漢字制限を主󠄁張しても、漢字全󠄁廢を目標とする改革論者と、漢字假名交り文を肯定した上で、それをより合理的󠄁にしようとする矢野の立場とは、その本質において非常な違󠄂ひがある。國語問題の處理に當つて、前󠄁者は破壞的󠄁で有害󠄂であるが、後者は建設的󠄁で有益である。


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