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四-二十五 加藤󠄁弘之と澤柳政太郞

 國語調󠄁査委員會の委員である加藤󠄁弘之は、三十五年七月󠄁『敎育時論』に「國語調󠄁査について」を發表し、既に紹介した調󠄁査方針の決定について次󠄁のやうな說明󠄁を行つてゐる。

*國語調󠄁査委員會は成󠄁立以來九囘會合した、世間では、委員は何を愚圖々々して居るかと思ふかもしれぬが、固より問題が問題であるから、輕佻に議論することも出來ず、多數決で決行するといふ譯にもゆくものでないから.出來るだけ愼重にし、出來るだけ急󠄁ぎ、種々調󠄁査を重ね評󠄁議をして、九回の集合の後、將來準據すべき調󠄁査の大方針を定めた

 加藤󠄁は漢字を廢止した後に假名・ローマ字のいづれを採󠄁用するかは「後で悔いない樣に愼重に調󠄁査」したいといふことを繰返󠄁し論じてゐる。

 なほ國語調󠄁査委員會は.三十七年四月󠄁に『片假名平󠄁假名讀ミ書キノ難易二關スル實鹼報吿』と『國語國字改良論說年表』を、十月󠄁に『方言採󠄁集簿󠄁』を、十一月󠄁に『假名字羅馬字優劣論比較一覽』を刊行してゐる。

 また當時文部省普通󠄁學務局長である澤柳政太郞は、三十七年一月󠄁『敎育界』に「國民の一大問題」を發表し、漢字廢止と言文一致とは世間の學者識者の大體一致した意󠄁見であるとして、主󠄁として敎育上より國字について考究し「要󠄁するに敎育の效果を擧ぐる爲めには如何なる方法を以てするよりも、國語の改良を圖るより大いなる利益を生ずるものはない」と斷定してゐる。次󠄁いで澤柳は「吾吾の記憶には相當の制限があるとしたならば、漢字の記憶に多くを要󠄁したとなれば更に外國語を記憶する力が減ずると云ふことは當然のことであらう」と述󠄁べてゐるが、事實は、漢字を記憶できないやうな者は外國語も記憶できないし、漢字を多く記憶し得る者は外國語も多く記憶し得るといふ逆󠄁の結果になってをり、「記憶する力が減ずる」などといふことはない。澤柳は最後に「羅馬字を以てするのが假名を以てするよりも優れりと固く信じて居るものである」と一言辯じてゐる。


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