五-十 新聞社の漢字制限
大正十年に至るまでの間、一、二の新聞社を除き、新聞社が國語國字の改良を積極的󠄁に推進󠄁しようとしたり、政府ないし民間の團體が新聞社にその協力を要󠄁請󠄁するやうなことはなかつた。當然のこととは言へ、そこに新聞社の良識と改革論者の節制があつたと言へよう。好むと好まざるとに拘らず、國民の言語生活の指導󠄁的󠄁立場にある新聞社が、單に自社の印刷能率󠄁といふ目先のことに囚はれて、輕率󠄁無謀な國語國字改良論に荷擔するやうなことがあるとすれば、國民にとってこれほど不幸なことはあるまい。然るに、大正十年三月󠄁二十一日、東京及󠄁び大阪の新聞社の代表十六名の名を以て「漢字制限に付全󠄁國新聞社に御協議申上度新聞紙上を以て得貴意󠄁候」といふ一文を發表し、漢字制限に乘出した。それは
*現今我邦新聞紙に慣用する、漢字數、漢語適󠄁用の事は、頗る煩雜冗多にして、新聞製作上に時間と勞費とを要󠄁するもの甚だ多く、斯業に從事する者の痛切に不便不利を感ずるのみならず、一般讀者の難澁迷󠄁惑亦實に大なるが如し。斯の如きは到底現代文化󠄁普及󠄁の趣旨と相容れざるを以て、現に幾多識者の間に硏究の一問題となり、文字制限等に就ても、一部少數の反對論者を除く外、殆ど何人も異議なき所󠄁にして、之を實行する時は、國民の初等敎育促進󠄁普及󠄁の上に於ても、非常の效果ある事と認󠄁められ、最早硏究時代を過󠄁ぎて實行實施の時代に入りたる樣考へられ申候
といふ趣旨に基づき、全󠄁國の新聞社に協力を呼掛けたものであるが、かういふ新聞社の動きを、文部省及󠄁び國字改革論者がうまく利用しようとしたことは、事の是非とは別に、同十年六月󠄁に誕生した臨時國語調󠄁査會の委員の顏ぶれを見れば明󠄁かである。