「漢字に託した『日本の心』」
笹原宏之著NHK出版新書、kindle電子書籍
本書は、一にも二にも、漢字と日本語に關する知識の寶庫といふ外ありません。さうか、日本語とはかうなつてゐたのか。なぜ、この語にこの漢字を宛てるのか、などといふ子供の時からの謎が臺風一過のC天のやうに明瞭になつて來ました。
たとへば、現在の中國の貨幣單位の「元」は「ユアン」と發音しますが、これは聲調も含めて「圓」と同じ音なので、當字(あてじ)として使はれるやうになつたもの。一方、日本で使はれる略字の「円」は、空海以前から存在するものですが、中國には存在しない漢字なのです。 外國の國名の漢字による當字も面白い。それを中國ではどう表すかといふ知識も得られます。一九八〇年に、ニュージーランド大使館が、ニュージーランドを漢字一字で表すには、どの字がよいかと新聞で募集したさうです。「乳」が一位になつたとのことです。「虹」といふ案もあつたが、訓讀みは異例なので外されたとの由。私(書評子)は、「虹」の方が綺麗でいいだらうにと思ひました。 語源についての新しい發見もありました。「大和」の地名の音は、「やまと」は、山の入り口にあるから「山門」だと唱へられ、私もさう信じてゐたのですが、著者によると、「山の麓」「山の多い處」といふ意味に過ぎず、「門」には該當しないことが、はつきりしてゐるとのこと。(蛇足ながら、「上代特殊仮名遣」が違ふといふ理由による) また、よく知られてゐることですが、漢代の中國人は日本のことを「倭」と呼びましたが、その漢字が侮蔑的な意味を含んでゐるために、同じ發音の「和」を當てるやうになり、それに美稱の「大」がついて、「大和」になりました。「倭」「和」「大和」も訓讀みをすれば「やまと」なのです。 美稱の「大」を付けた時期について、著者は、奈良時代初めだと推定してゐます。諸國に「風土記」を編纂させるに當つて、主な地域の郡(こほり)、郷(さと)の地名に「好字二字」を用ゐるやうにといふ詔敕が出たのです。目的は、中國風にしたいといふことだつたさうです。そこで、「和」が「大和」になりました。 そこかしこに、漢字と日本語に對する著者の愛情が感じられて、ほのぼのとした氣分になれます。私が我が意を得たりと感じたのは、役所の作る無意味な地名への批判です。槍玉として擧げられてゐるのが、「東京都西東京市東町」。説明の要もありますまい。著者は「区画内の特定の方角についてしか住所に情報がないといふ表現性に乏しい状況を生み出してしまった」と難じてゐます。 「東海林」を「しょうじ」と讀むのは、「東海林」が「荘園の司」といふ職名を指してゐたから。しかし、山形縣では、この苗字を「とうかいりん」と讀む方が多いのです。 國語改革を唱へる人々は、「だから日本語はややこしい」と誹謗しさうですが、著者はその多様性を温かく見守らうといふ意識を持つてゐます。 地名に使はれる「がけ(崖)」の字が、すでに使はれなくなつたものを含めて、五つばかり紹介されてゐます。「欠」「岸険」「ツチヘンに斤」「ツチヘンに付」「ツチヘンに行」があります。最後の「ツチヘンに行」は、埼玉縣八潮市にあるさうですが、またもや役所が介入して變へられさうになりました。それに對して住民が、傳統ある地名を守れと運動をしてゐます。著者は住民運動に對して好意的です。 コンピュータの出現によつて、漢字は消滅するだらうと豫測があつたのに、結果は逆になつた、と著者は強調してゐます。これは喜ばしいことではないでせうか。 戰後の日本では、國語の特性を潰して、ひたすらにヨーロッパ語の眞似をするのがよいことだと信じてゐる人が少なくありません。著者は、自分の主張めいたことは言つてゐませんが、本書を讀んだ人は、みな、日本語の魅力に引かれて、この傳統ある美しい言語を守りたいといふ気持になるに違ひありません。 目を洗はれる名著です。
高田 友