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水村美苗
筑摩書房


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「日本語が亡びるとき」

水村美苗著 筑摩書房

著者は言語を『普遍語』、『國語』、『現地語』と言ふ三階層で捉へてゐる。『普遍語』は英語の"universal language"に該當し、日本語では「世界語」と言ふ表現が落ち着く。『國語』は、英語の"national language"に該當する。「國民國家の國民が自分達の言葉だと思つてゐる言葉」で、人々が巷で使ふ『現地語』"local language"が、高級な諸々の價値を擔ふ『普遍語』の翻譯を通じて研ぎ澄まされ、知的・倫理的・美的な面で『普遍語』と同じレベルで機能するやうになつたものである。
 我々が無意識に使つてゐる『現地語』である「日本語」は、『國語』でもある。著者は、『普遍語』としての英語の擡頭(言語學的には何の必然性もないが、英米の力と、そして、インターネットの普及期に頭一つリードしていた偶然による)の時代に、「日本語」は『國語』としての側面が大いなる危機に直面してゐると警告し、憂へてゐる。
 「英語の時代」になつて、英語教育に對する方針は原理的には@『國語』を英語にしてしまふことA國民の全員が、バイリンガルになるのを目指すことB國民の一部がバイリンガルになるのを目指すこと、の三つがある。日本が必要としているのは、世界に向つて、一人の日本人として、英語で意味のある發言が出來る人材である。交渉の場で、堂々と意見を英語で述べ、意地惡な質問には諧謔を交へて切り返せる人材である。著者は當然のこととしてBを推す。
 文部省は明治の頃から音韻文字の採用を基本方針として、?字を排除し、假名文字にするか、ローマ字にするか得失を調査させてゐた。良識ある國語学者や文學者が反對し、?字假名交じり文に慣れた國民も眞劒に受け取らなかった。所が、戰後GHQの占領下で、?字の全面的な廢止が政府決定され、實際に廢止されるまでの、當面使用される?字として一八五〇字の「当用漢字表」が定められ、教育、公文書、新聞等のマスメディアで使はれる?字の數が制限されるようになつた。このやうな動きに反對する聲が漸く出て來たのは、敗戰から十數年經つてからである。
 昭和三十三年(一九五八年)には、後に名著とされるsc恆存の「私の國語教室」が連載され、昭和四十年(一九六五年)には、國語審議會會長が、初めて、日本語の表記方法は「漢字假名交じり文」であることを前提として審議を進めることを記者會見で發表する。漢字が殘つたことは「表音主義者」の敗北を意味した譯ではなく、「傳統的かなづかひ」を「表音式かなづかひ」に改めると言ふ小さな勝利を彼等は収めた。
 sc恆存の「私の國語教室」には、「表音主義」が日本語にとつて合理性を缺くものであり、「表音式かなづかひ」が、いかに日本語を混亂させたかが語られてゐる。
 「私の國語教室」の最後の一言、「なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか」が、胸に迫る。sc恆存のような人が嘆くのは、改惡の根底にある「表音主義」が、究極的には、文化そのものの否定につながるからである。
加藤 忠郎(かとう ただを) (公財)日本發明振興協會副理事長